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『北伐』はたして勝ち目はあったのか?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/04(木) 17:51
馬謖が功を焦らなければ、勝ち目は出ていたのであろうか?
それとも、もともと勝ち目など無い無謀な戦いだったのか?
蜀に天下を取る可能性があったとしたら、そのポイントはどこにあったんだろう

2 :士載:2001/01/04(木) 17:53
魏延の策を採り入れて、諸葛亮の見栄っ張りの言う通りの五丈原ではなく、
漢中をターゲットにしてたら歴史は変わったかもしれません。
もしそうなってたら、私は吃音土地調査官しか史実に残りませんでしたが・・・

3 :名無しさん@お腹いっぱい:2001/01/04(木) 17:54
馬謖が功を焦ろうが焦るまいが、そういう人材に
要衝をまかせた諸葛亮が指揮をとっていた以上、
勝ち目などない(笑)
マジレスすると、四川盆地にひきこもった地方政権が
天下を取った例はわすがに劉邦のみ。
中央政権に混乱が生じる等の異常事態でないと
ほぼ無理であると思われます。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/04(木) 18:27
荊州保っていたら少しは可能性もあったと思うが・・・
ねえ髭殿?

5 :最強伝説曹豹:2001/01/04(木) 19:36
髭でなくてスマソ。
確かに荊州を領有していれば国力的には魏に対抗できたかもしれん。
しかし地勢上、四川盆地と荊州を保つのは困難ではなかっただろうか?
魏と呉に挟まれ、なおかつ成都からの距離、急峻な川路、そして遮蔽物のない守りにくい土地。
髭があぼーんしてもしなくても、いずれ荊州は魏か呉に取られたであろう。と思うのだが。



6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 03:54
孔明は内政家であって、張良のまねは無理。龐統が北伐やるのが筋でしょ?


7 :後世の歴史家:2001/01/05(金) 07:21
蜀はまず勝てなかったでしょう。愚考致しまするに”北伐”の主要な目的は、対外緊張関係を作り出して挙国態勢を整える事に有ったのでは無いかと。モチロン、あわよくば長安近辺GETも視野に入れてね(はぁと)

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 08:39
韓信ならともかく魏延ではねえ・・・

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 11:39
つーか、本当に孔明は北伐を指揮したの?
演義で描かれているように車にのって戦場を駆け回る
という事はあったの?


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 12:33
諸葛亮が無能だったんではなくて、曹操、及び曹ひ、その後の後継者、
まわりを固める武将が、しっかりしすぎていたんだよ・・・。
項羽みたいにまわりの反感を買うタイプでもなかったし>曹操
実際に劉備、および劉禅に必要だったのは、陳平みたいな縦横家だったと思う。
というわけで北伐自体の勝算はゼロ。
韓信なら「勝ち目はありません」と言ったことだろう。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 12:38
勝算アリでしょ。
あの頃の魏の状況考えれば。
結果的には失敗だったけど。
まぁ、それでも四分六ぐらいと思うが。


12 :沙摩可:2001/01/05(金) 12:48
長安まで落としてたらどうだろ
魏延の策だったと思うが、それも不可能だったか?


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 13:13
結局、史実の孔明は行政家であって、
謀略家でも戦略家でもなかったわけだよ。
魏延等の優秀な実戦指揮官を、使いこなせなかったわけだからね。
行政家が戦争に口出す限り、戦いには勝てない。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 13:36
?>11
そもそも魏になんか弱点あったか?
説明求む

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 13:50
>>14
まず、皇帝(曹丕)が崩御し新皇帝に変わったばっかりで政情が不安定。
これは、曹操・曹丕・曹叡の代替わりが早いので、前の君主に信任があっても
後の君主に信任が厚いとは限らないため。 実際に孟達が裏切ったりしている。

次に、この頃の魏は呉と全面戦争に陥っていて蜀方面にまで兵力を回す余裕がない。
魏は国力が大きいので誤解されがちだがそれほど豊富に戦力があるわけではない。
また、呉は何もしてないように思われているが、はっきりいって蜀よりも積極的に
魏に攻め込んでいる。

大まかにいうとこんなもんかな。


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 13:53
魏8:呉:1.5:蜀0.5だったんだぞ(藁
勝ち目なんてあるわけないだろ。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 13:59
>>15
それを差し引いたとしても蜀に比べたら十分の戦力があると思うけどな。
蜀なんて守りやすいだけで人口だって少ないでしょ。

で、>>13に同意。実際は孔明は教科書どおりの戦い方だと思う。
守るにはいいかも知れないが、攻めには向いてない。


18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 13:59
>16
ところでそういう戦力比ってよく見かけるけど、具体的には何の比なの?

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 14:06
>15
思い込み。
政情が不安定なのは中であって、外との外交に対してではないから、
そもそもその中に蜀の突ける要素はない。
また呉に対しても、牽制程度で実際的な大戦は仕掛けていない。
その程度のことを弱点と言えない。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 14:15
>>17
数はそろえれたと思うが、戦力としては。。。
そんなに余裕があるなら長安に詰めてたでしょう。
中央から強行軍で援軍送ったりしてるのをみると(親政込み)、余剰
戦力はそれほどなかったと思われる。
というか、ほとんどノーマークに近いよーな。。。

孔明に関しては・・・うーん、野戦はかなり強いんだけどなぁ。
攻城がなぁ。。。

21 :名無しさん:2001/01/05(金) 14:39
>>19
その程度ねぇ
魏と呉って
すぐ引いてしまったのもあるが結構派手にやりあってるはず


22 :前言撤回:2001/01/05(金) 14:49
でも確か北伐は司馬イが引き籠もってたときは成功してたんじゃなかった?
(演義だけの話か?)
だとしたら司馬イがいなかったら十分勝算あったのかも?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 14:54
>22
緒戦だけ。魏が先鋒隊を送ってたときだけ。
なので勝ってはいない。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 15:02
>21
有能武将が死んだからそういう観念があるのかもしれんが、
実際は政治レベルのかけひきだったんじゃよ、あれは

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 15:14
もしかして、北伐で何があったか知らない人が多いんじゃ

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 17:26
魏を攻めるにあたってどこかに拠点が欲しかった
とりあえず長安を足がかりにしたかったが
補給線が続かずそれさえもままならなかった。
のちに馬謖や李厳のせいにされてるけどホントは
地理的条件がとてつもなく悪かっただけのことだろ。


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 17:59
国力を挙げての兵力が十万じゃ、どうしようもないね。

28 :三国ちゃん:2001/01/05(金) 18:36
ほえ?
北伐の真の目的は人口増加と結束を高めるためにあったんじゃ?
だから、そもそも余所からやってきた劉氏が益州を押さえるには
なにかしら連中の意識をまとめる目標が欲しかった。
それが漢王室復興でしょ。
けどこんな戦勝ち目無いのは孔明だってわかってる。
その理由の一つにいかに蜀の地が肥沃とはいえ、人民が少なきゃ
魏とはりあって独立を保つことは出来ない。
だから、涼州くんだりに何度も出向いて人を連れてきたんじゃないかな?
よーするにひらたく言えば、大規模な人さらい(藁)
その点、魏延なんか全然理解してないから長安攻めなんて進言してたりする。
長安を攻め取ってもその後の維持が不可能なのは誰が見ても明らかなのに。
諸葛亮も最後には五丈原攻めこんだが、それまで、なんで涼州あたりをせこく
攻めていたのか理由は簡単な気がするんだけどなー。

29 :U-名無しさん:2001/01/05(金) 18:43
ほんとうに十万人とか百万人の兵力を維持できたのだろうか。
補給も何も、全てが莫大過ぎて、戦線を維持するなんて不可能でしょ。
まさか、帝国軍のように現地調達でもしたって言うのか?
あまりにも不可解だ。

30 :万個ちゃん:2001/01/05(金) 18:46
理由は簡単、孔明がチキンだったからだ


31 :フォーク准将:2001/01/05(金) 19:02
あなたは何もわかっていない。
そうです。我が同盟軍が一致団結し
帝国本土深く攻め込めば、かく言う
ローエングラム候とて我が軍を恐れ、
我が同盟軍の向かう所ただ勝利
のみがあるのです。恐れる物はありません。
自由と正義の為に!!!
ムッ・・・。ぁハ〜!!ヒーっ!!
興奮しすぎて発作がでました。
ヤン暗殺の囮として味方であるはずの
地球教団にあっけなく殺された
将官を忘れないで下さい。
私見ではありますが、根性無しで
命を惜しむ貴族が多かった中
骨のずいまで貴族だったフレーゲル男爵
は素敵でした。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 19:19
百万はさすがに不可能しょ

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 19:54
孔明は最終的にはどんな状態を目指してたんだろう?
現実をふまえて、ある程度妥協してでの理想な状態は。
夷陵への出兵と敗戦なんて、彼の描いていたこれからの戦略を
かなり狂わせたと思うけど。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 20:02
>>28
オイオイ。
戦争ってのは、とんでもない金がかかるんだゾ。
人さらったからって、黒字になるようなものじゃとてもない。
それに人口を増やすのは、さほど難しくないんだ。
等比数列で増えていくから。重要なのは戦争を行わないことと、食料の確保。
涼州方面に兵を出していたのは、西方の異民族と連携するためのものだろ。
一気に長安を攻めず、徐々に攻める孔明らしい堅実な戦略といえるが、
そんなことでは、永遠に北伐は成功しなかっただろうし、実際していない。
戦争で最も重要なことは、スピードよ。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 20:06
北伐は魏への侵攻が目的というよりも、
蜀への喉元に当たる戦略拠点、
漢中の防衛戦に過ぎなかったと考える方が
現実的なのかもしれないかモナー。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 20:11
戦争を、シミュレーションゲーム感覚で捕らえている人って多いな。
というのも、やっぱ戦争の基本は食料だし、補給だし。
徴兵コマンドをいれて、人口が数字上減ってるだけじゃ、ろくな感覚が育たないんだろう。
変じゃん。
人口数の中には、老人や子供もいたりするんだし。
下手すると、総人口よりも兵士が多いなんて、不自然だよ。
こういう点で、ゲームは駄目だな。

37 :最強伝説曹豹:2001/01/05(金) 20:25
戦闘員の後方支援する人数ってかなり多い。
兵力の10倍ぐらいは必要だったんじゃないか?

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 20:29
>>37
時代・組織体制によって違う。
例えば古代では戦闘員一人に対して、1000人以上必要だった。
日本の戦国期では30人くらい。
第二次大戦では6人と劇的に下がる。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 20:36
>38
ちょっと待った!
そんなのは数字上の空論だ。
太平洋戦争中の、農村部での身売りの事実はどうなるんだ?
カンコウの期限付き入隊における、軍人恩給の不支出はどうなる?
予備役兵の、生活困窮はどうなる?
何も知らないで語るなよ。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 20:42
>>39
ゴメン、ドイツとフランスの話です。
ただ組織論的に考えてあげて。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 20:44
>>39
なんだって??

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 20:46
>40
ごめんね。強く言い過ぎたよ。
結構、戦記物を読むと、補給と食糧生産に付いては述べられないんだよね。
暗いし、つまらないから。
しかし、インタビューしてみたりすると、実相が見えてくるんだわ。
いやだなあ。戦争なんて。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/05(金) 21:28
一人どうでもいいことで興奮してる馬鹿がいるな。

44 :名無しさん:2001/01/05(金) 22:18
>>38
徴兵すると民忠誠度や人口だけでなく、生産力の数値も落ちるように
すればいいんだがねえ。
でも長安を奪取しても漢中から長安の兵站輜重の確保が難しい。
補給線は長いししかも険しい道のりで、そこのどこか一点弱いところを
攻撃されたらそれでオシマイ(街亭の戦いはそれのひとつに過ぎない)

しかも魏の相手はそういう事情を知り尽くしている慎重家の仲達だからね。


45 :備中守:2001/01/05(金) 22:27
長安方面だけでなく、漢中から漢水沿いに上庸を攻めるという方法もあったはず。
(ショウエンが孔明の死語、それをやろうとしていた)
孟達を取り込む作戦に失敗したからといって諦める事は無いだろうに。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/06(土) 00:52
荊州が保持出来ていれば、または一回目に魏延の策を用いていれば、だいぶ状況は
変わっていただろうとは思う。

北伐全体を通して考えると、やはり孔明には戦争は向いていないと思う。 能力もそう
だが性格的にも。
無い物ねだりだが、名将に軍の指揮を任せ、孔明は成都でバックアップするというの
が理想的だと思う。 魏を倒せたかどうかは別として。

47 :後世の歴史家:2001/01/06(土) 04:14
単純に国力差が大きすぎ、だと思うが、それ以外にも
”天の刻・地の利・人の和”を欠いていた様に思えます。
1・建国後、ある程度の年数が経ち、安定期に入っている魏
  と対峙せねばならない
2・守るには有利だが、進出には向いて無い蜀からの
  出撃作戦(漢中を得て多少は変わりましたが)
3・よそ者の指導者に、寄せ集めの軍集団
  蜀漢大義名分の”漢王室復興”が直接的に生活に関わって
  こないにもかかわらず、戦争協力を強いられる蜀国民の意識

どう考えても勝ち目が無いのです。

48 :司馬懿太郎:2001/01/06(土) 05:02
良くも悪くも、「蜀の桟道」だな。

成都からの大量・長期にわたる補給は無理。



49 :三国ちゃん:2001/01/06(土) 11:37
>>34
え〜とね…。
確かに戦争にはお金かかるけど、それより人民確保のほうが蜀には
大切だったんだよ。連中をどっかに入植させれば、そこで生産がはじまるからね。
南蛮侵攻だって、後方を平定するって目的があったけど、人民確保も目的なんだよ。
現に孔明ちゃんは南蛮から多数の兵士を連れかえってるしね。
人間が多数いればいるほど、屯田の効果が効果があがるんよ。

50 :>46:2001/01/06(土) 16:34
>無い物ねだりだが、名将に軍の指揮を任せ、孔明は成都でバックアップするというの
>が理想的だと思う。 魏を倒せたかどうかは別として。

じゃあ、姜維に北伐を任せれば良かったのでは?
姜維も一将軍としては非常に優秀だったと思う。
孔明と姜維って、どのくらい一緒に戦ったんだっけ?




51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/06(土) 16:49
呉が孔明が死ぬ直前の戦いで大勝利おさめれば蜀はかてた。


52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/06(土) 23:39
大義名分の”漢王室復興”も民にとっては古臭い
どうでもいいことだったニ違いない

53 :東海定王:2001/01/07(日) 00:56
>>51
その場合は呉が天下を統一するんじゃないか?

本気で北伐を行うという前提なら、やっぱり第1次で魏延の
策を採用して、長安どころか一気に洛陽まで突き進むのがよ
かったのでは?成功率はともかくとして。
「漢復興」という大義名分は、魏が既成事実として存在すれ
ばするほど意味がなくなっていくのだから。


54 :三国ちゃん:2001/01/07(日) 01:25
>>53
成功率はゼロを遥かに下回ってると思うよ。
だって司馬懿太郎さんも仰ってるけど蜀の桟道って難所があるんだよ。
だから魏延ちゃんの子午谷越えで攻めるなんてナンセンスも良いところなのよねー。
だって、長安占領しても後方をかく乱されたらたちまち食料不足なんだよ。
桟道を焼き払われたりしたら蜀軍は孤軍となって全滅するしかないでしょうね。
だから孔明ちゃんは後方を固めようとしたんだよね。
でも、馬謖ちゃんに軍を預けたのが運の尽き。街亭で敗戦しちゃうわけだけどね。
本当、ここは呉懿子遠ちゃんとか魏延ちゃんに守らせていればここまで手ひどい敗戦に
ならなかったでしょうね…。

55 :飛蝗:2001/01/07(日) 01:25
>「漢復興」という大義名分は、魏が既成事実として存在すれ
>ばするほど意味がなくなっていくのだから。

結構、ここが微妙に大切だったりして。
意味が無いというよりか、長らく政治不安定期が続けば、誰でも
いいから安定させてくれ、というのが人心であって、揚子江以北
が曹操以降安定しているあたりで結構、魏は人心を掴んでいた
という考えは、初心者ですかね?
当然、商業は戦国とは無関係に発達するもので、北の復興が南に
商流と共に伝われば、当然呉蜀の勢いは劣っていくのは必至。。。
なんつったりして。

56 :飛蝗:2001/01/07(日) 01:35
微妙に話しをずらしてしまって申し訳ない。

敢えて苦言を云えば、『北伐』は蜀の活路であって、『北伐』を
無くして『蜀』はあり得ない。
それが成功する可能性は、極めて低かった。
ここで云う『低い』は何か?
目的は「魏を凌駕する国力を持ち、魏を討ち滅ぼす事」ですよね。
これは、不可能。

でも諸葛亮のみならず、蜀の総意として『北伐』をしてもしなくても、
蜀の未来は無かった。。。のでは無いだろうか?
云ってみれば、
「座して待つより、撃って出るべし」
「万に一つのチャンスを狙う」
という総意の元、実現したものでは無いだろうか?

57 :飛蝗:2001/01/07(日) 01:45
勿論、「座して待つより、撃って出るべし」 「万に一つのチャンスを狙う」
を無理矢理にやったのでは無くて、国力のギリギリのラインでやっている
あたりは現代人の平和ボケしたゲーム感覚的なもの(私も含めてね。。。)
では出来ない崖を飛び降りる様な決断があったのであると思う。
決断には、当然の如く実行された作戦以外のあらゆるシミュレーションが
なされたモノと思う。
想像を絶する作戦パターンをシミュレーションしたに違いない。
当然、「街亭」の敗戦なんていうのもシミュレーションしたに違いない。
でも、これは馬謖が無能なのでは無い、と思う。
馬謖を他に廻す事によって、作戦遂行能力全体のバランスが崩れて、場合
によっては「街亭」の敗戦どころの騒ぎでは無かったかも知れない。
あくまで、馬謖のミスに作戦の紐解きを得た百戦錬磨の仲達が上手なので
ある。
とか云ってみる。

58 :名無しさんドキュン:2001/01/07(日) 03:41
北伐をしない、と決定したら、その時点で蜀は内部から崩壊したろうね。
だから北伐そのものが間違いとは言い切れない。
が、あんなハイペースでやるのは自殺行為としか思えんが…
そこがイマイチ腑に落ちない。毎年やってた時期もあるし。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 03:50
人口比率が魏7:呉2:蜀1だったしな
呉も台湾やベトナムとかに人口増加の為の人狩りしてたし
蜀も外征をやらなければジリ貧になるのは目に見えてたな


60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 04:02
たぶん可能性はゼロではないと思う。何か方法はあるだろう。
しかし、常人にはそんな方法わからん。
常人に比べればかなり優れた才能を持っているであろう孔明さんにも
その方法はわからんかった。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 04:45
しかし曹真って評価低いな

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 09:26
北伐で死んだ人の数しっとるか?
>60

63 :名無しさん@そうだ天下を取ろう:2001/01/07(日) 16:11
もし魏延の策を採用して長安陥とせたとしても
魏延では長安を保持できなかっただろうね。

>50
姜維は当時はまだ魏の雑兵です。
第一次北伐が失敗した時点で、もう勝ち目はなくなったのだから
姜維がどんなに優れていても関係ない。


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 16:15
>63
いや、劉備が呉に関羽の敵討ちしようとした時点で勝ち目無い。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 16:22
荊州失陥ですべておしまい。
呉が牽制して荊州の部隊が洛陽とかを襲って益州の本体がおもむろに
でてくる多方面作戦を展開するのが孔明の基本構想だもん

66 :名無しさん@そうだ天下を取ろう:2001/01/07(日) 16:24
>64
でも敵討ちやんないと蜀は内部崩壊していた。
つまり、三国鼎立構想で、蜀を選んだ時点で失敗。
でも蜀以外に選択肢はなかったので
最初から劉備が曹操に勝つ見込みはなかった(笑)。
まあ、生き残っただけでも凄いってところかな。


67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 16:32
実際長安急襲して落としてなんとかいう関を閉じて向こうが慌ててる
間に西涼手に入れるくらいの運任せの綱渡り的な思いきった手を
打たなきゃだめだろう、マジで魏を倒そうってんなら
正直これだけやってようやく手袋投げられるってとこだろ

68 :三国ちゃん@人材難:2001/01/07(日) 16:48
>>63
魏延たんで維持できなければ、誰にも維持できなかったと思うよ。
あの当時、蜀で最も経験豊富で優秀な将軍だったのでは?

だから孫権に笑われてしまったんだけどね。
そこまで蜀の人材難は深刻だったんだよ。

69 :東海定王:2001/01/07(日) 22:07
>三国ちゃん殿
ただ、蜀軍が出てきただけでも呼応した郡があったんだから、
長安を落とすことが出来れば各郡が一斉に寝返る可能性だって
あったんだよね。それこそゼロに等しいレベルだろうけど。
魏を内部から動揺させる必要があったってことで。



70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 22:38
劉表死後に荊州乗っ取り作戦はできんかったのか?

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 22:44
>>66
それにしても慢性的な戦争状態を作り上げることに、
意味はあったのだろうか?
安定していれば、それなりに人心はついてくるものだよ。
それこそ孔明の得意分野だったと思うが。

72 :飛蝗:2001/01/07(日) 23:13
やばいなぁ。。。もう相当忘れちゃってるからマトモなレスが付けられない(笑

誰が長安入りしたところで、急襲はあくまで急襲であって、魏の本隊が出てきても
対峙出来る治安を作るところまでは出来ない。
それが魏延でも諸葛亮でも、無理なものは無理、という判断だったのでは無い
ですかね?
諸葛亮としては、当然先手必勝で長安を制圧、後から出てくる本隊を見事に迎撃
して事実上の制圧を果たしたかったのでは?

ただ北伐の時点で蜀が内部崩壊していたという話しは憶測に過ぎないと思う。
オイラが云いたかったのは、崩壊の芽を北伐に向けるという事では無い。
蜀・呉が揃って魏と対峙しなければ、まったくもって魏には敵わないので、
国力が充実た時点で北伐は必至だったのではないかと思うっすよ。

73 :飛蝗:2001/01/07(日) 23:23
川中島の戦いが解りやすい例。
勿論、もともと武田領でも上杉領でも無いけど、北信州がアンチ武田
であった事には変わりない。

武田軍を北伐軍とするのであれば、数回対峙し4回目においては、一般的
には武田本陣まで切り込まれた武田軍が押された印象だけど、夕刻の戦が
終わった時点で上杉軍は結局北方へ退却をさせられているし、5回の対峙
で結局北信州は武田領となっている。

要は、長安を制圧する為には勝つだけではなくて、蜀領として治世が出来
なければ意味が無い。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 23:23
国力・兵力・人材・補給のし易さなど圧倒的に劣勢にある蜀が魏に勝つには、魏延の
言うような博打を打つ必要があるんだな<本気で魏をひっくり返す気なら
孔明みたいに遠征先で持久戦やるのは戦略的には愚の骨頂。痛いのは蜀だけなんだな

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 23:26
北伐それ自体が奇襲に寄るものなんだから、
魏延の策を実行してみる価値はあっただろうね。
ただ、北伐の意図がどこにあったか、にもよるけどさ。

76 :飛蝗:2001/01/07(日) 23:40
>74
逆だと思うよ。
国力で勝る魏を相手に、賭博まがいに長安を急襲したところで、所詮
ひっかきまわすだけが精一杯。
あくまで領土拡大に結びつかなければ、いつまでたっても劣性のまま。
劣性をひっくり返す為には、領土を拡大し組織を広げるしかない。

魏延の奇襲は、単なる奇襲。
諸葛亮の北伐は領土拡大の組織的活動。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 23:42
どー考えても長安急襲案は補給路の確保が難しかったから却下だろ

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/07(日) 23:46
ついでに根本的に蜀の人材の枯渇が
急激な勢力拡大が出来なかった一因のだと思うが

当時の蜀には信用できる人材が少なすぎる

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 00:45
荊州から連れてきた人脈が尽きたのと
蜀にも少しはいた有能な在野の士も
劉備ならともかく諸葛亮には魅力を感じてなかった?

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 00:56
三国時代だと昔すぎてイメージするのが難しいけど、要は第二次
大戦の日本とアメリカの関係だったんじゃないか?
どう逆立ちしたって、蜀に勝ち目は無かったんじゃないかなー。
かりに急襲が一回や二回成功したり、馬謖が大勝したりしても。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 00:59
孔明のやったことなんて堅実策でもなんでもない仲達の引き立て役の道化なのさ
第一補給路云々言うなら北征自体愚の骨頂。劉邦が成功したのはただ項羽のミスと

関中を治めてた連中が住民から嫌われてたのに乗じたからだし

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 01:11
劉邦はいろいろキタナイ手つかったからね

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 01:30
というか、蜀を迎撃した魏軍本気だったの?
手抜きとは言わないけど、余力満万としかおもえんのだけど。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 01:35
蜀の相手は長安に拠点を構えた西方面軍だけで対応
当時、魏は呉の攻略に執着してたから蜀攻略は先送りされてただけ

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 01:55
>80、83
魏としてはかなり本気でしょう。荊州にいたエース張コウに
迎撃させているし、曹叡も長安まで行ってる。
ただ単に、若い皇帝が血気にはやっただけというわけじゃないと思う。
だから、最終的にどうなるかは分からないけど、馬謖が大勝した場合は
面白かったんじゃないかなあ。すでに3郡が寝返ってたわけだし、
長安防衛のために魏はかなり慌てざるを得なかったのでは。
そうなれば、もっと蜀になびく奴が出てくる可能性も
あるかもしれないし、呉がつけ込んでくる可能性もある。


86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 01:59
>76
当時の両国の国力差から考えれば、魏で内乱でも起こらない限り維持可能な領土拡大
は至難だったでしょうし、 やはりハイリスクを承知で魏延案を採るべきだったと思
います。
確かに仮に成功しても維持は至難でしょうが、「 長安を落とした 」という実績が
作れれば、魏の不満分子や呉や異民族らへの格好の宣伝材料となり、少なくとも史
実よりはましな状況が作れたのでは、と思います。
特に第一回目の時は、魏も相当油断していましたし、そんなに分の悪い賭けではな
いと思うのですが・・・。 失敗しても、一気に蜀が滅ぶようなものでもないし。

87 :三国ちゃん@眠いよ〜。 :2001/01/08(月) 02:10
う〜ん…ちょっと長文になっちゃうけど良いかな?
うざいと思った人は読み飛ばしてね。

蜀軍にはいくつかの問題があったのは皆も知ってると思う。
一つ、圧倒的な戦力比。
そりゃあ、そうよね。なんせ司州など9州も有する魏に対し、蜀は益州1州だけだもんね。
二つ、人材不足。
魏には軍師司馬懿仲達をはじめ、張[合β]、郭淮伯済など、錚々たる武将がそろってるのに
蜀は関羽、張飛、馬超はすでになく、唯一残った趙雲さんだって高齢。
第1次北伐の翌年になくなってるし。
三つ、何度も言っちゃうけど食糧の補給が困難であるってこと。

いくら魏を討伐すると言っても蜀軍に圧倒的に不利な状況ってわけ。

だから、仮に子午道から関中に侵攻、首尾よく長安を失陥させることができたとしても、
やがては全ての面において圧倒的な優位に立つ魏軍に包囲され、放棄せざる得なくなるの
可能性が極めて高いってわけ。
それどころか長安攻略に失敗した時のリスクの方が明らかに大きかった。
もし壊滅的大敗(街亭の敗戦みたいな事)をしてしまったら、それこそ、
蜀が存在しつづけることが出来なくなってしまう可能性が高いってわけ。
(全滅なんてことになって孔明他魏延や呉懿、趙雲、[登β]芝、廖化、王平などの
将軍と北伐にたずさわった兵士をほとんど失ってしまったら、すぐにでも蜀は滅亡してたと
思う。)

だから孔明ちゃんには、どうしても成功率の低い博打的遠征は出来るものじゃ無かったわけね。
それよりも、まず関中西部一帯を制圧、涼州方面軍と魏の主力軍との挟撃の危険性を排除してから
長安に侵攻したほうが、勝てる確率がまだあるんじゃないかな?
だから孔明ちゃんは、魏延の策を却下して、あのコースを選んだと思うの。

実はほとんど受け売りなんだけどね。
でも、私もそう思うんだけどなあ。
もし、誤字、脱字とかあったらごめんね。

88 :町費:2001/01/08(月) 02:31
久しぶりだな。
俺と同意見のヤツがいるのは心強い。
長く延びた魏の西部地帯を確保して国力を少しでも上げること。
それしかないって何度も言っただろうが。
なに? 知らないだと?
そうだな、久しぶりだもんな・・・

89 :風鈴火山:2001/01/08(月) 02:38
第一次北伐のときには、まだ長安さえ落としていないのに涼州に
呼応する地区があった。馬謖(&馬謖を抜擢した諸葛亮)のせいで
最終的には失敗したけどね。

長安は知っての通り、中原方面に関しては守るに易く攻めるに難い
地形であり、かつ盆地内は広くて、制圧さえ出来れば自足自給が
余裕で出来る。劉邦がやった様にね。・・・内部崩壊を起こした馬超は
失敗したけど。

魏延の策はかなり信憑性がある。ただ諸葛亮には、第一次以降の
警戒した魏に対しては、まったく長安を陥落させることが出来る
自信がなかったから、いつでも引き返せる腰の引けた戦法しか
取れなかったのだろう。

劉備が、諸葛亮を兵站・内政に専念させている間に軍師として
用いた=より軍略に優れていると思われるホウ統・法正が生きて
いればどうなったことやら・・・。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 03:26
もし馬超が涼州に宣撫しに行ければ、根こそぎ頂けたのだろうか。

91 :名無しさん:2001/01/08(月) 08:27
涼州は人口も少ないし、生産力も低く、治安も異民族のせいでよくない。
異民族を手なづけて援軍を期待するくらいしか利点はないし、
高い犠牲はらってまで涼州とるというのもねえ・・

92 :代打名無し:2001/01/08(月) 10:15
やっぱ「出師の表」って圧倒的に不利にもかかわらず
討って出ざるを得ない悲壮たる孔明の決意に蜀の人は
泣けたんだろうなぁ。そういう意味では最初から勝ち目は薄い。

勝ち目が薄いならギャンブルに出るべきっていう考えの人は
魏延の策に同意するんじゃないかな。
ハイリスクハイリターンかローリスクローリターン。
孔明の立場的には国を潰すわけにはいかないからローリスクな
作戦を取らざるを得なかったのだろう。


93 :86:2001/01/08(月) 11:05
>87
「 維持は至難 」のあたりは、指摘されている様な事は考慮の上書いて
いるつもりですが。 当時、魏の打倒などという奇跡を起こす為には、や
はり「 長安攻略 」ぐらいのデモンストレーションは政治的に必要不可
欠だったと思いますし、維持できなくてもその実績はその後の外交や謀
略等におけるなによりの財産になったでしょう。
それに、失敗した時のリスクについても書かれていますが、別に蜀の全
軍を挙げて奇襲する訳ではないので、全軍壊滅などという事態はまず起
こらないと思います。 さらに言えばこれが失敗するようなら、蜀主導
ではもう成功しそうな手はない様に思います。

また、「成功率の低い博打的遠征」と言いますが、成功率だったら北伐
成功の方が理論上は正しく、ローリスクなだけでもっと低いかと思いま
す。 なにせ国力差が有りすぎるのですから。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 13:38
WWUの独ソ戦で、グデーリアンを初めとした軍事の専門家たちは、
モスクワ急襲を主張したが、政治家ヒトラーはキエフに兵を回した。
結果、2度とモスクワを取るチャンスはなくなってしまった。
この場合も軍事の専門家魏延を差し置いて、
軍事ど素人の孔明がとんちんかんなことを言ったばかりに、
長安を取るチャンスがなくなったような気がするが。
ああ、法正が生きていれば・・・

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 13:42
そもそも、なんで孔明が北伐の指揮を執ったのかが不思議。
孔明は実質北伐が初陣で、しかも宰相の地位にある人物だろ?
今でいえば漏りが、自衛隊の指揮とってPKOに行くようなものだゾ。

96 :三国ちゃん@今日は成人の日:2001/01/08(月) 13:47
>>93
う〜ん、え〜とね…。
魏延ちゃんの案は主力を子午道から奇襲部隊が北上して長安を襲撃。
主力軍は斜谷道を進んで奇襲部隊と合流、一挙に長安以西を平定しようという
作戦だったのはもう何度も書いてるし、多分ご存知だと思う。

だけど、諸葛亮ちゃんは首を縦に振らなかった。極めて危険な一発勝負的
賭けなのだから。
仮に長安を陥落せしめたとしても、兵力的にははるかに劣勢。やがては
圧倒的優位に立つ、魏軍に包囲され、放棄せざるを得なくなると
読んだからなのよね。
緒戦から成功率の低いリスクをおかすわけにはいかなかった。
いきなり最初から失敗しました、しかも奇襲部隊全滅魏延や他
名だたる名将戦死じゃ、対外的にも対内的にも困るでしょ?

それより西部を固めて、挟撃をさけようとしたってのが遥かに勝ち目があると
孔明ちゃんは思ったんだよね。魏延ちゃんは勇猛で大胆だけど孔明ちゃんは
あくまで慎重だったわけ。あなたは魏延案じゃなきゃ、蜀主導ではもう
成功しそうな手はない様に思ったかも知れないけど少なくても孔明ちゃんは
自分の考えを信じたわけね。

孔明ちゃんの考えは街亭で敗戦しなければ正しかったんじゃないかな?
南安、天水、安定の三都は戦わず白旗あげて、結果、長安を背後から
襲えたはずだし。
(それにびっくりして曹叡ちゃんが五万の兵を引き連れ駆けつけたぐらいだし。)

97 :三国ちゃん@今日は成人の日:2001/01/08(月) 13:57
孔明ちゃんだって、ただ正攻法で攻めたわけじゃないのよ。
斜谷道から趙雲、[登β]芝におとりとして攻めさせているし。
それに曹真ちゃんはひっかっかって、「ビ」に全軍集結させてるし。
やっぱり、街亭の敗戦がねー。どうして馬謖を起用したのか私も疑問だわ。
劉備さんだって警告してたのに。
愛弟子可愛さに目が曇ったとしか思えないわね。

98 :田中芳樹:2001/01/08(月) 19:11
だが、武帝の治世の初期においては、魏軍の来攻によって「鍾離の戦い」
がおこなわれ、南北百万の大軍が淮河をめぐって激突した。この戦いの規模は
「赤壁の戦い」を上まわるが、それについて記述してある日本語の資料は、
中公文庫の「世界の歴史4」だけである。

 また中期においては、陳慶之がわずか七千の兵をひきいて北征し、北朝の
首都である洛陽を陥落させている。これがどれほどの軍事的偉業であるかは、
諸葛亮が四度にわたって北征しながら長安にせまることさえできなかった
ことと比較すれば明らかだ。


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 20:27
田中厨房の論には全く見るべきところがない。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 20:29
軍事の「ぐ」の字も知らないのに、語るよね…この人>田中芳樹
銀英伝とか、あまりのご都合主義によんでて辛かった・・・

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 20:33
田中の論はおしなべて小説的だ…
隔絶した時代を照らし合わせて
いい悪いを語るなど言語道断ではないかえ?
って小説家だったあの人。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/09(火) 23:00
>>99
>>100
>>101
じゃあお前らはなんなんだ?
別に個人の感想を述べるのは良いが、
盛り上がってるトピに、水かけるようなことするな。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/09(火) 23:14
盛り上がりに水さしたのは田中芳樹を持ち出した98だ.
98は荒らしか、空気の読めない厨房か。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/09(火) 23:23
では田中芳樹のも、どっかの誰かの一意見として扱い、このまま続けましょう

105 :名無しさんi486:2001/01/09(火) 23:34
>>102
トピっていうなよ。スレだよ。
お前はYahooに帰れ。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/09(火) 23:53
他の北伐はともかく、第二次北伐の陳倉攻略戦だけは理解に苦しむ。
わずか20日で兵糧が尽きて撤退。
曹真や張コウに「わずか10日にも満たない軍糧」と指摘されているし、
城攻めとしてはあまりに無謀すぎはしないか?

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 00:15
>>105
そうだな。じゃあそうするよ。
どうもここは、私のいて良い場所じゃないらしい。
ただな、田中某に問題があるならば、
その問題点をきちんと指摘し、論破するのが議論というものだろう。
よく読んでなかった私も悪かったが、
本論である北伐とは別の部分で反論していた、
>>99
>>100
>>101には、
違和感を感じた。
99〜101がきちんと論破していれば、
このスレが消えかかるところまで、下がらなかったと思うぞ。

108 :風鈴火山:2001/01/10(水) 00:28
>>106
陳倉は、第一次北伐のあとに曹真がわざわざカク昭を差し向けて
修理・守備させたものだから、諸葛亮は陳倉=ボロ城の古いイメージ
しか持ってなくて楽観してたのかも。

109 :106:2001/01/10(水) 00:46
>>108

なるほど、それならむしろ、諸葛亮は陳倉に新しい城建てられたら
ヤバイと思って急襲しようとしたのかもしれないね。
しかし、曹真たちが一歩上手だったと。
曹真、けっこうやるな。

110 :ところでさ:2001/01/10(水) 02:51
この北伐スレ、正史準拠なの、
それとも演義?

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 03:03
正史でしょ。
フィクションを、もしああだったら、こうだったらと言っても
あんまり意味ないんじゃない。
雨が降らなければ、司馬懿が焼け死んで孔明の勝ちとか。

112 :産土神:2001/01/10(水) 11:02
みんな心配しないでも
魏は数年のうちに蜀の領土になる

113 :名無しさん@そうだ天下を取ろう:2001/01/10(水) 11:19
>>90
馬超はとっくに死んでた


114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 12:21
北伐に関して、こちらに興味深い検証がありますよ。

http://www.tokyochina.com/KOMEHOBA/KOMEHOBA.htm

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 12:36
>>114
 なるほど、結構面白いよ。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 15:57
>>114
でも、これちゃんと調べて書いているのは認めるけど、
結局は演義ベースじゃないのか?
蜀軍20万(当時は魏だってそんなに動員できんぞ)とか、
あまりに正史つーか、当時の事情を無視した記述が多すぎ。
長文に惑わされちゃいかん。と思う。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 16:08
タイミング的には千載一遇のチャンスではあったと思う。
蜀は孫呉との関係も修復できて"一応"は共同戦線の形ができ、南方の反乱も鎮圧し(慰撫はされていないが)、
後顧の憂いなく油断している魏に対することができた。
ただ、その油断してた魏にいきなりやられちゃーいかんよ。


118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 16:17
>>114
すまんが、ここで展開する内容ってその程度でいいのか?
まぁ、所詮2chって思う気持ちもわからんでもないが。


119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 16:17
魏、マジで油断しまくってたみたいだね。
劉備が死んだ後、もう出てこないと安心してなのに、
いきなり諸葛亮なる者が出てきてビックリ、
って記述があるし。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 17:28
魏延が長安攻略成功→一応孔明の手柄、まさかの長安死守でいけいけモード?
魏延がその後孤立して敗退or長安攻略失敗→孔明にとってウザイ魏延を排除できる

孔明にとっては、どっちに転んでもいいんでは?蜀の延命時間を掛け金に出せば。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 18:50
てゆうか、結果論だが急襲で長安おとしても魏延が孤立することはないだろ。
長安おとしゃ雍州・涼州は大して戦力なかったから降伏するしかない。
ただ、あの時の孔明に雍州・涼州の状況をそこまで把握はできなかった
ろうから、慎重策で二手に分かれて迂回して長安目指しただけ。


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 19:08
>>106
>>108
第4次も結構問題あり。
城を囲みながら司馬懿の迎撃軍をコテンパンにして封じ込めたのに、結局おとせず撤退。
(その後、第2次と同じように追撃してきた魏軍を迎撃してるが)
野戦はかなり強いが城攻めは何かお粗末。


123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/10(水) 23:00
 そういや劉備や関羽も城攻め苦手だったっけね。
 ラク城攻略戦をはじめとする入蜀のときの戦いとか、ハン城攻めとか、なんか城攻め
で手痛い失敗をしてしまう事が多いような……。
 劉備ファミリーは全体的に城攻め苦手だったとか。
 思いつきで書いたけど、意外に分析してみると面白いかも。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/11(木) 00:09
城攻めに対し、敵側が篭城作戦をとると
(一旦篭城も、敵前逃亡・撤退はこれに非ず)
苦戦は免れなかったでしょうな。
三国志でも、城攻めで落とした際は
素直に城を攻め落としたって展開が珍しいくらい。
たいがい、攻めて側に有利な2次的要素・要因があって
初めて城が落ちたといった感じだし。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/11(木) 00:12
>>114のリンク先の考察は、あれはあれで面白かった。
それより、いちゃもん付けてる>>118
いったいどういう考察をしているのか興味有り。
長文・連続カキコになっても構わないから
自分の考察を書いてくれよ。素直に読みたい>118

126 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/11(木) 11:17
>>125
難しい注文だな。
自分で考察もできない癖にいちゃもんつけんなって思うかもしれないが、
あーゆー風にまとめるのはもの凄く大変だからなぁ。
あのページはそういう点では評価できるが、「北伐」に関しては考察に
反して事象があっさりしてるのが拍子抜けしてしまった。

長文・連続カキコは無理だが、今まで通りに小出しで考えを出すっての
で我慢してくれ。
といっても、今まででも >>11 >>14 >>19 >>117 >>121 ぐらい
しか書いてないが。


127 :> 123:2001/01/11(木) 12:49
兵卒・農民あがりの辛いトコロです。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/11(木) 18:19
こういった、一応真面目に議論なり考察を述べるスレは、
やはりコテハンじゃないとツライとこあるなぁ。
各個人の一貫した意見というものが分かり辛いし。
コテハンなら「なるほど。この人はそういうタイプね」
って事で、より一層濃い展開になっていくと思うんだがなぁ。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/11(木) 21:59
>>123
基本的に攻城戦が得意な武将というのは、いないんじゃないかな?
攻城戦が得意=謀略が、得意という事になると思う。
例えば攻城戦が得意だった武将には、荀悠とか真田幸隆とかだけど、
どれも謀将ってかんじじゃない?
特に中国の城攻めは、兵器も兵力も大規模になるから。
強いてあげれば、長期戦でも戦える、粘り強い武将か。

130 :地雷業:2001/01/11(木) 23:36
>>128
 同意、いいスレなのでコテハン参加してみよう。

>>129
 確かに。そういったエグイ謀略戦を戦いぬける謀将こそ、
法正であったのだろう。かえすがえすも惜しい人物だ。

131 :名無はコテハンよりも貴なり:2001/01/13(土) 01:48
“のび太”が“スネ夫”と組んだところで、“ジャイアン”には勝てん。
蜀呉魏も同様。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/13(土) 01:51
籠城すると必ず長期戦になるので、
攻城戦が上手いのは補給の上手い人ってことじゃないか。

133 :地雷業:2001/01/13(土) 04:04
>>132
 北伐から少しずれたけど、攻城戦に関して補給の上手い下手は、
必要条件ではあるけど、十分条件ではないだろうと思います。
もちろん城攻めは補給の整備は不可欠(第二次北伐はその典型的な失敗例)
ですが、それだけで落ちる城はないと思います。
 兵糧攻めにするにしても、中国の城攻めは中々粘りますよ。
 何しろ、平気で人食い合いますからねー(笑)

134 :副軍師中郎将:2001/01/13(土) 06:37
城攻めで、守る側に必要なのは、”必ず来る援軍”と
”援軍到着まで持つ軍需物資”それに
”場内のモラール(士気)を保ちきる采配”だと思います。

北伐に当てはめてみると、魏は蜀漢の攻撃を、友軍が
来るまで、城に篭って持ちこたえれば良かった。
やって来る援軍に、勇将、有名な武将が来るのも当然。
味方(魏)にとっては、士気を鼓舞する格好の材料になり、
敵(蜀漢)からすれば、城攻めを焦る材料になる。
状況によっては、蜀漢は撤退を考える事になる訳ですな。
原則、魏は「蜀の嵐(荒しでも可)を防御できれば良し」
としていたと思います。
魏にとっての当時の主戦場は、対呉戦線でしょうから。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/13(土) 08:38
ところで、長江を下って荊州方面に出るというのは駄目ですか?
敵の真ん中に突っ込むが、可能性として。


136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/13(土) 08:50
>>135
孔明が「進むのはいいが、しりぞくのが難しい」って言ってたんじゃないかな。
北伐じゃなくて、夷陵のときだったと思うけど。

137 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/13(土) 18:23
つまり荊州方面から攻めあがるのは難しいわけね。

138 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/13(土) 19:13
だから〜、龐統が生きてりゃあっちゅー間に北伐達成だってば。


139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/13(土) 19:18
対蜀に回されたのはいわゆる左遷なのでしょうか?

140 :名無しさん@お腹いっぱい:2001/01/13(土) 19:25
正確な兵数がわからないから、なんともいえないよね。
白髪三千丈的な資料以外に、何かある?

141 :名無しさん(新規):2001/01/13(土) 19:45
北伐達成のためには
臥竜(宰相)、鳳雛(軍事専門家)が健在
荊州の確保
が最低必要

142 :名無しでござる:2001/01/13(土) 19:55
>141
ついでに、関羽や張飛もね。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/13(土) 22:54
>142
あの二人がいたって大勢に影響があるとは・・・
むしろ足を引っ張る可能性も。( 勿論悪意なく )

144 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/14(日) 00:12
>143
一応「兵一万に匹敵する」と恐れられてはいたんだから、
劉備・ホウ統の手足として働く場合は、そこそこ行けるんじゃないかなあ。

145 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/14(日) 00:19
>>143
つぅか、劉備軍の中核じゃん>関・張


146 :風鈴火山:2001/01/14(日) 00:24
>>135-137
でも蒋延はそれをやろうとしてた。輸送が楽になるからと。
軍中に疫病が流行って果たせなかったけど・・・。

諸葛亮もいなくなってかなり油断してるところに思いもよらない
ところから敵が!さてどこまでやれたかな?

147 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/14(日) 01:02
>>144-145
でも互いに大勢力になっての軍団同士の戦いには関・張あたりは不要。
演義のイメージだと軍師の手駒として扱うのは難しいんじゃない?
変にプライドも高いし…
王平や張翼みたいにそれなりに才能があって命令に忠実な武将の方が重宝しそう。


148 :地雷業:2001/01/14(日) 15:30
 政略レベルで北伐の是非について考えると、諸葛亮最大の誤算は曹操、曹丕亡き後の混乱や動揺が意外なほど小さかったってのがあるでしょうね。
 漢室うんぬんではなく、むしろ華北などは、晋の時代まで袁家の支配を懐かしむ気風があったといいますし、諸葛亮としても華北の動乱あたりは期待していたのではないでしょうか? ところが期待どおりにはいかなかったと、これは諸葛亮の読みの甘さというよりは、曹家がうまく華北を治めたということんなんでしょうね。誰だって、あの乱世を治めた政権がこうも早く安定するわけないと分析するでしょうし(2代目でそつなくおさめた曹丕も早死にでしたし動揺しないと分析するほうが難しい)。
 あと治まっていなかった西部や関中も思ったより動揺しなかったですし。私見ですが、関羽や張飛が生き残るより、西部民族のゲリラの棟梁である韓遂(この人太平道の乱の頃から中央と戦っている、しぶとい御仁。三国時代のアラファト・笑)が生きていれば、さぞかし面白かっただろうと思います。蜀には馬一族もいるし、韓遂かそれに代わる人間と共闘すれば、相当に魏を揺るがせたでしょうねえ。
 北伐シミュレーションで韓遂とそれに同調していた西部の人間たちは大変面白い存在だと思います。

149 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/14(日) 23:02
とりあえず北伐自体がどういう目的で行われた
のか議論しないか?
本気で魏を滅ぼそうとしたとはとても思えない。
また積極的防衛ってのも守りやすい益州に必要とも思えないし。


150 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/14(日) 23:42
蜀漢の建国の大義名分を守るため。
そうすることしか複雑な派閥のあるこの国をまとめられなかった。

151 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/14(日) 23:54
出兵しなければ国を維持できないし
かといって魏に勝てる力も無いし、とすると・・・
蜀をとれただけでもバンバンザイてとこ?

152 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/14(日) 23:54
>>149
出師の表読めよ。
漢王朝復興こそが先帝劉備の願いであり、蜀の存在意義なんだよ。
それなら何で、蜀漢なんて名乗ったんだろうな…
もし、魏から倒して漢王朝復興したら、蜀帝はどうなったんだろうな…

153 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 00:06
>>152
名乗ってないって。蜀なんてのは区別しやすいように便宜的に言ってるだけ
劉備たちはあくまで漢と名乗ってたんだよ。
漢王朝復興てのはつまり自分達が天下を取るっていうことなんだよ

154 :> 153:2001/01/15(月) 00:13
なるほど。
たしかに、2字の国名は辺境の連中が中原に遠慮して名乗るモノ。

155 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 00:16
あ、そうだったんだ知らなかったわ。
んじゃ、劉備に嗣号に昭烈帝ってあったと思うけど
それはどういう事になるのかな…
当然、劉備の死後に後主劉禅が嗣号を送ったなら、
蜀漢の皇帝が劉備だった事を示すものになるのでは?

156 :風鈴火山:2001/01/15(月) 00:31
>>155
劉備は、逆賊曹丕に殺された(というデマが流れた)献帝
(孝慰帝)の後を継いだということになってます。
劉備・劉禅は、漢の正当なる後継者であり、曹賊を打ち倒して
中原を取り戻すことは当然の使命です。

・・・蜀の視点では。

157 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 00:43
そもそも劉備自身が皇帝の血を引くと自称していたのだから、
後漢滅亡後、血族である劉備が後漢を継ぐというシナリオは
蜀陣営にとって大義名分となっていたのではないかな。

あとは>>156さんの通り、劉備は「献帝は曹丕に纂弑す」という
報告を鵜呑みにしていたと思われます。

158 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 00:56
横山三国志しか知らない厨房なんですけど、もし街亭を蜀軍が守りきってたらどうなってたと思いますか?

159 :副軍師:2001/01/15(月) 06:22
>158
仮に街亭を(その時)守れたとしても、
残念ながら、直ぐに奪還されてしまうでしょう。
消耗戦に持ちこまれれば、蜀は支えきれないです。
文献によれば、国力差が有りすぎたようで。

160 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 06:50
他のところで
魏:関東一円
呉:東海(愛知・三重・静岡・岐阜)
蜀:北陸(富山・石川・福井)
荊州:新潟・長野?
と言う見事な表現がありました。
この三国の国力を例えると他に何があるでしょうか?

161 :名無しさん:2001/01/15(月) 07:38
もしも孔明じゃなく徐庶が丞相だったら魏にかててた?
やっぱり孔明の方がすごいの?

162 :149:2001/01/15(月) 12:41
>>152

出師の表のような建前レベルじゃなくて
孔明の本音レベルの話が という意味です。
本気で倒そうとするのならゆっくり攻めれば国力の差でじり貧。
魏延の策くらい強行しないと無理だと思うのですが。


163 :令君:2001/01/15(月) 12:44
必要性はないかも知れないが、一応このスレはこのコテハンにすっか

164 :令君:2001/01/15(月) 12:58
>>162
魏延の策ってのはあくまでも戦術レベルの話じゃないの?
長安を落とす方法として
  孔明は囮+迂回の二面作戦
  魏延は急襲作戦
と意見が分かれただけだと思うが。


165 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 16:31
>158

歴史を検証する上で「もしも」は考えるべきではないと
思うのですが…
強いて考えるのなら159さんの言うように
まず維持はできなかったでしょうね。
それに加えその方面を指揮するだけの広い視野を
備えた人材は当時の蜀にはいない…!


166 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 16:45
孔明は、北伐での勝利が魏で混乱を生むことを当てにしてたんだろ?
そうなれば、蜀の天下もあながち冗談とは言えない。
しかし、思った以上に魏国内が固まってたと。


167 :令君:2001/01/15(月) 16:57
>>165
ある程度のifはしょうがないでしょう。
何がしたかったかなんてifなしには語れないでしょうし。

さて、>>158 ですが、長安までは侵攻できたのではないでしょうか?
落とせたかどうかはわからないけど。
とても魏に第二弾の迎撃軍を回せる余裕と時間はなかったと思いますが。


168 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 17:09
あの時点で街亭を抑えていれば、隴西・隴東の諸郡を確実に手に入れることが出来る。
そうすれば補給の問題がある程度解決する。
あとは周辺から長安に侵攻すれば>>166氏の言うように魏で混乱が起こって
内応してくれる者も出てくると孔明は考えていたのでは?

169 :ななしさん:2001/01/16(火) 00:17
魏=NTTドコモ
呉=J-PHONE
蜀=AU(DDIポケット抜き)
程度の勢力認識でいいのかな?


170 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 00:55
蜀を捨てて全軍で長安に遷都しかないと思います。

171 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 04:23
魏=ジャンプ(最大部数時)
呉=マガジン
蜀=サンデー
荊州=角川とかのオタク系

172 :副軍師:2001/01/16(火) 05:21
>165
取りあえず、IFは有りでよろしいかと。
文献等の検証のみでいけば、このスレは一言で終了ですから。

北伐は勝ち目無し→終了

>167
>長安までは侵攻できたのではないでしょうか?
勢いに任せれば何とか辿りつくかもしれません。
仰る通り、長安攻略が出来るかは微妙です。
延びた補給線を維持できるかが、ポイントになるでしょう。
168さんの言う通り、隴西・隴東付近を確保すれば
補給自体は楽に成るかもしれませんが、
蜀は少ない兵力を、補給線の維持、占領地治安、
長安攻略等に割り振らねばなりません。
仮に、蜀本国から予備軍を向わせたとしても、
部隊到着までの時間は、等しく、魏に守りを固める時間
を与える結果になるでしょう。

故に魏延の長安奇襲は、起死回生の策として、魅力的な
IFネタに映るし、同じく、一歩一歩地固めをする
堅実な諸葛亮策は、無難で、及第点の取れそうな策に思えるのです。

ただ、魏からすれば、長安が保たれている内に、蜀の補給線さえ
断てれば、蜀の囲みは自然と解けます。
(撤退するしか無くなるという訳です)

結果・・・

173 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 05:24
漢王朝=キャプテン
南蛮=みこすり半劇場
匈奴=アフタヌーン

174 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 07:06
素人どもが何だかんだ話したって所詮卓上の空論
ここにレスする奴等より玄人が争って駄目だったんだから
勝ち目なんてねーんだよ

175 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 07:25
新学期そうそう学校でいじめられたんだね。

176 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 07:59
確かに、いじめを受ける側にも問題があるな。

177 :74式:2001/01/16(火) 11:48
>169

魏→SCE
呉→任天堂
蜀→セガ

178 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 11:52
>魏=ジャンプ(最大部数時)
>呉=マガジン
>蜀=サンデー

蜀は絞れば汗が出るとまで言われたチャンピオンです。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 10:11
ああ、もし夷陵の戦いがなかったらぁ〜!!

180 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/19(金) 00:21
ああ、もし夷陵の戦いに勝ってればぁ〜!!

181 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/21(日) 22:06
age

182 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/21(日) 22:15
結局、劉備、関羽、張飛とも晩年に大失態やらかしてるよなあ。
彼等がもっと謙虚であったなら違う結果もあったんじゃないか。

183 :風の谷の名無しさん:2001/01/21(日) 23:54
その辺が彼らの魅力ですがな。

184 :大谷刑部:2001/01/22(月) 01:18
>178

チャンピオンは匈奴にしましょう、匈奴。

185 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/22(月) 01:27
じゃあ、倭はボンボンか?

186 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/22(月) 05:48


187 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 00:26
  

188 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 00:32
>>178
んー、俺は
魏=マガジン
呉=サンデー
蜀=ジャンプ(最大部数時の名残)
だとおもうんだがねぇ(笑 

189 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 01:24
>>188
激しく同意
ジャンプとマガジンの部数が逆転したのが
荊州を奪還された辺りかな?


190 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 02:16
ここは硬派スレじゃなかったのか?

191 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 00:31
第一次北伐のふたつのIF。

街亭で勝ってたら?
子午谷から長安へ進んでたら?

ふたつとも結論が出てるから、本題は終了かな?

192 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 11:21
どれをみて結論だっておもったんかな?
まだ個人の主観しか出てないと思うが。

193 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 11:30
コーエーの三国志シリーズだと北伐なんて楽勝なのにな。

そのへん反映させる気はねーのかな?>コーエー

194 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 11:51
>>193
確かに。いきなり長安落せるし。

195 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 12:52
へー。みんな詳しいや。見てきたんだね。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 14:12
まぁな

197 :加来:2001/02/01(木) 18:56
魏延の長安奇襲作戦を孔明が嫌ったのは、確かに成功の可能性が低かった
ってのもあるけど、仮に勝利したとしても孔明にとってウザイ魏延が増長
するのを嫌ったからじゃないの?

街亭で馬しょくを抜擢したのも、魏延の対抗馬を立てるためだったんじゃ
ないの?魏延は確かに有能な武将だったけど、野心家だったし、信頼が
集中して権力を持つと、蜀内部がおかしなことになったと思うけど。

孔明も人間関係だけはどうしようもなかったのかな?
李厳とも対立してたし。

198 :もぐりのもぐら:2001/02/02(金) 11:44
庖統がいりゃ〜こんなことにはならんかったのだ〜。軍師・・・庖統  後方支援・・・諸葛亮でばっちしいけた。あと荊州をとられたのも誤算だったのよん。

199 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/03(土) 22:46
ホウ統ってそこまで前線での参謀任務向きかな。


200 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/04(日) 04:31
さあな。


201 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/04(日) 04:55
あまいな、ミンナ。
キーパーソンは馬良だよ。
彼さえいれば蜀はウヒョー…
って、夷陵でポンッだからよぉ。

202 :名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/02/04(日) 06:02
>198
ホウトウって蜀に進軍したとき、孔明が不吉な予感がすると手紙送って
きたのを見て、自分の成功をねたんでると思って余計進軍して死んだと
あったので、仲よくなかったんでないの?

203 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/04(日) 06:18
>>202
それは演義だけの話ね。史実じゃない。

204 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/04(日) 23:36
ただの専守防衛だったんじゃない?>北伐

205 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 01:10
曹操が北伐を指揮してたら、どうなったかね?

206 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 02:42
>>205
曹操でも無理だよ。張良ぐらいか?

207 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 03:21
過去ログ全部読んだら
書くことねーや(藁
ただ北伐開始後の蜀の国力を考えると
軍師が諸葛亮ではなく管仲、楽毅だったとしても
北伐なんてどだい無理な話
だれかが書いていたが
まさにのび太とスネ夫がジャイアンに立ち向かうようなもの

208 :程c食人@お腹いっぱい:2001/02/09(金) 03:37
>>205曹操はどこに攻め込むの?魏?(藁

じゃあ、もし蜀が何もせずにひたすら守っていたら
どうなっていたのか、聞きたい。

209 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 05:30
>>207
のび太は何度かジャイアンに勝ってるぞ!

210 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 10:31
国力の差があるっつったって、魏vs蜀の一対一ならともかく魏は呉とも戦争してるし、
国土が広い分だけ兵が分散したり色んな異民族相手にしたりしてるからな。
なかなか均衡がくずれず最終的に蜀・呉が滅ぶんで魏>呉+蜀+αに近い状況だった
とは思うが、北伐の時期に国力に差があるから最初から無理な戦だったって意見は
えらい安直だと思う。


211 :もぐりのもぐら:2001/02/09(金) 11:16
法正とホウトウさえいてくれれば・・・・

212 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 12:07
>>210
安直なのは君の方さ。
三国時代の人口比率は魏、呉、蜀で、27対5対2の割合である。
例えば、経営戦略モデルに応用されてるランチェスター方式を当てはめると、
国力比は人口比を自乗した729対25対4となってしまう。
蜀に対して、魏は約182倍もの国力を持っているのだぞ。
鼠一匹が象に立ち向かう様なモンさ。これでも安直だと言えるのかね?

213 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 12:33
持ち出すに値しない例えだな
蜀が10年そこらで潰れたならそれもいいけどさ


214 :岑昏:2001/02/09(金) 12:39
例え、国力が50:50でも蜀は兵站が心許ないし。

正に腹が減っては戦は出来ぬというわけ。

仲達がろくに動かなかったのも放っておけば孔明が食糧がそこをついて
撤収するのが分かっていたから。

蜀はおとなしくヒッキー遣ってたほうが良かったと思う。[登β]艾が
意表をついた侵攻をしなかったらもう一寸長生きしたと思うし。



215 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 13:16
>>212
じゃあ、今の中国はすごい国力なんだな
経済力もすごくて軍隊も無敵で

216 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 14:49
北伐が成功したのは一度だけ。
蒋介石が袁世凱死後分裂した北方軍閥を討ったときだけ。

217 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 15:38
北伐以前にも人材の差は歴然。
曹操は名士の増長を恐れて、
名士グループのリーダーで品格、能力随一のジュンイクを除いている。
こんなこと劉備は出来るわけがない。
いままでで名前が挙がっている法正や馬良、ホウ統を
除くと同義、若しくはそれ以上のことなんだから。(能力的に)
ただ曹操が劉備と違うのはジュンイクや孔明のような
国家レベルで戦略を立てられる人材が他にも沢山いること。
演義の曹操が非情で劉備が仁君というようなことにしても、
この差は絶望的に大きいよ。
ちなみに曹操がジュンイクを除いたことは
先見の明があるといえなくもない。
結局、曹魏はもう一つの名士の雄、司馬氏に簒奪されるのだからね。

218 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 16:09
>>217
>ちなみに曹操がジュンイクを除いたことは
>先見の明があるといえなくもない

荀ケが名士であることを警戒して死に追いやったなら、
同じ穎川の荀一族の攸の重用とその死後曹操が涙を流して
追悼の意を表してやまなかったことについて説明がつかない。
やっぱ通説どおり荀ケのような潔癖症の清流派は邪魔になったから切っただけのことだよ。


219 :名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:36
>>212
おいおいおい。

自乗するのはランチェスターの第二法則、
つまり機関銃や爆弾など、一人が多数を一挙に殺害可能な近代戦におけるモデルだろ。
三国時代のような前近代戦では、第一法則、自乗しないモデルが適用される。

数値化するなら、27:5:2が適当であり、729:25:4はムチャクチャ。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 19:47
>>219
バカだなぁ。なんだよその無茶苦茶な見解は。
二乗の法則はどこでも当てはまるよ。

212の間違いは、3つを一気に比較したことと、当時の移動手段を考慮
しなかったこと。ただそれも、単純化し過ぎた事に問題があるのであ
って、お前の間違いに比べりゃ小さい小さい。

221 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 20:05
そもそも27:5:2とは随分な数字ですね。ソースは何でしょう?

222 :姜維伯約:2001/02/09(金) 20:46
北伐で蜀で使えた武将は
馬岱、俺(姜維)、趙雲ぐらいなもんだろ。
魏延は命令違反ばっかで反抗的だし髭の餓鬼(関興)やアル中の餓鬼(張苞)はたいした奴と戦ってないしな。
まぁ、それでもこいつ等はまだましなほうさ。
王平、呉s(欄、懿ナド)、高翔あたりになってくると目も当てられない…
ってか馬超使えよ孔明。
ともかく、こんなメンバーで北伐の成功を望むなど無理のひとことだよな。

223 :姜維伯約:2001/02/09(金) 20:48
俺がいなければ蜀は十年早く滅びただろう

224 :劉禅公嗣:2001/02/09(金) 20:50
>>223
おまえが北伐強行するから蜀が十年早く滅びたんだろうが

225 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 20:59
>>222
お前が蜀きたときには馬超はとっくの昔に死んでるぞ

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/09(金) 21:17
>>222 >>225
呉欄も死んでなかったっけ?

227 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 22:02
呉懿も王平も蜀にとっては欠かせない人材。
呉懿は劉璋の時から蜀軍の重鎮だったし。

228 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 23:11
また面白くなってきたな。マンチェスターかランチェスターか知らんが、
その辺の語りをもっとやってくれい。

229 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 23:27
>>219,>>220ご両所
個人ページ(と思われる)からのコピペなのでソースは省略。
> 第一法則
> 戦力は兵力に比例する.
> 第二法則
> 戦力は兵力の2乗に比例する.
> 第一法則は古代の戦争の様に1対1の戦いを想定している.
> 古代の戦いでは個人の技量や武器の威力がものをいう.
> 一方,第二法則は近代戦のような1対多数の戦いを表している.

230 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 00:13
関ちゃん生きてりゃなあ。魏延は、先鋒に使って・・・

231 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 00:53
戦力の分析は魏VS蜀呉で考えなければ意味がない。
結局蜀が滅ぶまで緊張はあったにせよ同盟は続いたのだから。
そもそも蜀軍が第一次北伐でかなりの打撃を受けても即滅亡には
いたるまい。その根拠はキョウイの北伐による疲弊があっても
孔明の指示による漢中防衛のマニュアルがあって、曹ソウの征蜀軍
を撃退しえたことからもわかる。問題はキョウイがその一気の魏討伐をはかって
それを廃止したことに問題があるのではないかな?(すこしズレタ

232 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 01:14
>>222
ネタ?
そうでなかったら相当ヤバイぞ。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 01:18
>>231
同盟は続いてたけど、孫権は非協力的だったじゃん。
WWIIの連合国とは違うよ。(例示としては正しくないかも)

あと、即滅亡には至らなくても、蜀の国力じゃ一回負けただけで厳しいん
じゃないかな。
第一次北伐が失敗した時点で、蜀の運命は決まってたと思う。
捲土重来は難しいよ。

もっとも、仮に成功して長安を落とせても、その先に進めたとは思えない
けど。
荊州が残ってたらなぁ……。

234 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 01:22
>>233
諸葛亮の当初の構想通りの北伐だったら、
あるいは成功していたかもな。
つまり、益州から長安を攻め、
荊州から許昌・洛陽(どっちだったっけ?)を攻める。
可能性はグッと上がるでしょ。

ただ、こういう事書くと、
歴史のifってほんとにむなしいね。

235 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 01:44
荊州失陥を補えるわけも無いが
第一次北伐の前に上庸の孟達を寝返らせたのが上手くいってれば
長安の奪取は出来ていたと思うのだが。

北伐の成功例として
劉邦が蜀から関中を征服できたのは、関中の三人の王が人心を得ていなかった
ことと、逆に劉邦が支配者として求められていたこと、
偏狭の地に押し込められた配下の兵に望郷の念が高かったこと、
韓信という優れた軍略家がいたことなどが挙げられる。
蜀漢軍には成功する要素がほとんど無い。


236 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/02/10(土) 14:22
ランチェスターの話は?
229を見ると219のほうが正しいようにみえるけど…。
あと軍事板の人ですよね<219

237 :220:2001/02/10(土) 17:07
>>236
一騎打ちだけの戦いなんてものは存在しないから一次法則なんてのは
使われる事が無い。なんで戦力の集中が効果的か、という元になる第
二法則への踏み台に過ぎないんだよ。
第一、三国志時代は集団戦でしょ。集団戦だったら第二法則に近いよ。

そもそもランチェスターの定理は、過去の戦闘の被害者比率を調べたら
これに近い形になった、というものに過ぎないわけで、国力とかを測る
には適していないんだ。局所的なパワーバランスを測る程度だよ。

現代だと、移動手段の発展で力を集中させるのが容易になって、この
ランチェスターの定理が国家のパワーとほぼ同程度に語れるかもしれ
ないけど、三国時代にはまず国家のパワーを集中させる事は出来ない
からね。

この場合、魏が対蜀で傾けられる戦力と蜀が対魏で傾けられる戦力と
での比率で計算するのが妥当だね。その「傾けられる=集中させられ
る戦力」を生む能力が、名将と凡将の差なんだな。ナポレオンなんて
これの天才だから、調べてみると面白いよ。

238 :236:2001/02/10(土) 17:33
>237
レスどうも。
でもまだよくわからない。
219は一人がマシンガンや爆弾で
一気に殺せるという前提があるのが第2法則だということですよね。
集団戦だったら第2法則に近いというのがわかりません。
それに、
>局所的なパワーバランスを測る程度だよ。
なのに、なぜ
>魏は約182倍もの国力を持っているのだぞ。
とか
>二乗の法則はどこでも当てはまるよ。
なんですか?
失礼ですが、あげあしを取ってバカにしてるだけなような…。

239 :220:2001/02/10(土) 18:18
>>236
1次法則は、1対1戦闘が連続するような形を想定したもの、2次法則は
集団戦を想定したものです。古代、近代、現代というもので分かれる
ものではありません。わかりやすく言えば、細い吊り橋での戦闘といっ
た限定的場面でしか1次法則は適用されません。(逆に言えば、兵力が
少ない場合は、この1次法則が適用されるような戦場を選べばよいわけ
です)

ただ、実際にこの法則が適用されるのは戦場という局所的場面において
です。ですから、その局所的場面に集中させられるパワーを数値化して
二乗しないと現実との乖離してしまいます。

例を挙げます。もしAさんが10人の手下がいて、Bさんが5人に手下が
いるとしましょう。普通にケンカをすればAさんが勝ちますよね。
でも、もしAさんの手下全員が100Km離れたところにいて、Bさん側全
員でAさんをとりかこめば、Bさんが勝ちます。
つまり、手下の数はそのまま、AさんBさんの力とは出来ないわけです。
実際の戦場に集中させて、初めてランチェスター定理は利用できるので
す。

魏も広大ですから、そのまま全てが対蜀の戦力となるわけでもないです
し、蜀だって全てを魏に向けられるわけではないですから、その国力を
そのままランチェスターの定理に放り込んだところ、そのままパワー
バランスが出てくる、というわけでもないのです。

ただ魏、蜀双方の間に、人口と戦力の比率、戦場への集中等にそれ程の
差が無ければ、ランチェスター定理に近いことになります。

240 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 21:15
>>1
最大のifでかんがえてみよう。

キーワードはカコウハである。カコウハの反乱がなく、
且つそのまま出世、魏に隠然たる勢力をもたせる。
そこに司馬一族が曹魏に禅譲させる。
カコウハがここで短慮を起こさず忠実な晋の番人をつとめる。
そしてキョウイ、すなわち蜀の大勝(トウ西のような)などによって
魏が蜀境に大軍を寄せ、呉がそれに呼応して北上する。
それにあわせついにカコウハが兵をおこす。彼はまさに魏の金枝玉葉。
魏に人心が残っていれば北方の数州は呼応するか。
事ここに至れば晋も全面崩壊も目の前である。
劉禅の舅にあたるカコウハ、彼ならば対呉戦線をはれる。
キョウイ対陸遜、キョウイの知らぬ先帝劉備の仇を孔明の愛弟子
キョウイが討つなど涙が出てきそうな話ではないか。
このつづきはまた書こう。ちょっとロマーンにすぎたか…

241 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 22:20
五虎将・ホウ統、そして荊州が健在なのが最低条件だよね(昭烈帝はいらんけどw)
そして漢中・荊州からの二面攻撃、呉にも合肥へ兵を進めさせる

242 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 22:26
>239
つか、これだろ。
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02p1.htm

これ読むと、第一法則も第二法則も集団戦を前提としているように見えるが?

243 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 23:55
>>242
俺も読んでみた。するといきなり、こんな文章があった。

「注意点、第一法則、第二法則とも両極端な例を挙げて解説しているので
古代戦が、必ず第一法則、近代戦が必ず第二法則になるわけではない...
実戦に適応しようとした場合...
両法則の混生になる場合がほとんどです...」

そして、最後には、

「結論、単純化されすぎている方程式なので使う場合には
戦場の様子や軍の配備状況、時代による兵器の攻撃力、防御力などに合わせた修正がなければならない...

単純式だけの拡大解釈は不毛である(-_-;)...」


細かく分析すると、何か面倒な計算方法になりそうだな…。
誰か解読してくれ…。

244 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/11(日) 00:59
「北伐」は可能だったと思います。今、ああだこうだという話をしてもしょうがないかもしれませんが、様々な不運なことが孔明率いる蜀軍に起きなかったこと。街亭の戦い、ある文官の裏切り、劉禅が暗君で無かったら、などです。このうちの一つでもおきていなかったらたぶん北伐は完了してたでしょう。「勝てば兵も増えるし、負ければ相手方に着く兵もデル」野は、当然の成り行きです。しかもお互いの国土の中で戦争を行うので、攻められれば国土は疲弊します。ですから、単純に国の力だけで勝ち負けを論ずるのは不可能です。日本でもおケアざまの合戦に信長が勝った例もあるし。あの時代は今と比べるべきもなく、武器が原始的だから、戦略が大多数を占めると思うんだけど。

245 :風の谷の名無しさん:2001/02/11(日) 02:20
蒋介石の北伐は成功。

246 :東海定王:2001/02/11(日) 11:25
>>241殿
蜀軍の士気のためには、前線に出てこられる劉備は結構必要だった気もする。
宮殿から外に出ない奴のために戦おうって気はしないしな。

247 :220:2001/02/11(日) 14:06
www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02p1.htm
は少し間違えている。というのも、2次法則が「極端な例」でもなんでも
無いということ。
そもそも戦史ヲタクのランチェスターが、様々な戦史を調べた結果「これに近い
値がでるな」と見つけたもの。極端な例でもなんでもなく、そこらに
転がっている戦史を集めた結果の平均値。

1次法則は、「そもそも1人ずつ闘ったらこのようになるはずなのに、
なぜ現実はそうならないんだろう?」ということで、集中効用の大きさ
を比較する為に生まれたもので、何も現実から導かれたものでもなんで
もない。2次法則との違いを表しているだけ。

248 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/11(日) 15:32
>>220
ほんとかなぁ〜?
アナタのランチェスターのソースは何?
www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02p1.htm は原書から引いてるようだが?
だいたい、ランチェスターの法則を最初に持ち出して、212や220で軽軽しく人を罵倒し、
結局「国力とかを測る には適していないんだ」とか言ってるジャン。
オレには馬謖の徒に見えるぞ。

249 :220:2001/02/11(日) 16:00
>>247
経営戦略学で勉強したので、原著じゃなくて引用の引用。ただ一応そっち
の原著を勉強した教授に学んだんだけどなぁ…

>だいたい、ランチェスターの法則を最初に持ち出して、212や220で軽軽しく人を罵倒し、
>結局「国力とかを測る には適していないんだ」とか言ってるジャン。
意味がわからないんだけど… 最初に持ち出したの俺じゃないよ。
罵倒はしたけど。

国力を測るには適してないってのはホント。例を挙げると、
中小に分類されるあるバイク販売店が、ランチェスターの定理を使った
一極集中型販売を行ったんだ。全国レベルでは大手に負けるんだけど、
特定地域では投下資本を大手の2倍ぐらいにして。そうしたら、その地域で
は圧倒的な差で勝つことが出来たの。これからわかることは、大手相手
と戦う方法としては相手の分散したところに対して、自分の力を集中さ
せることで局地においては有利にもってゆくことが出来るということ。
これを繰り返せば、全国レベルでも勝てることになる。(まあ実際には
うまくゆかず、この事例では大手も後から同手法を獲ったので、結局
すべての地域で負けた…)

だからランチェスター2次法則は各個撃破の有効性を表すものとしてとら
えたほうがわかりやすい。
その点、国力だと指標として大きすぎるの。国力の比率がそのまま局地的
局面において現れるわけじゃないでしょ。これがランチェスター定理を
直接持ってくることの間違い。
ただ、殆どの局面において国力の比率がそのまま現れるという仮定は、
それ程現実性を失われてはいないと思われるから、国力を測るのに
2次法則が一つの目安になることは確か。
だから「2次法則は殆どの場面に適用されるが、国力を測るのには適して
いない。目安ぐらい。」。

乱文ごめん。

250 :文系無名武将@お腹せっぷく:2001/02/11(日) 16:38
>>220=>>249殿
>だからランチェスター2次法則は各個撃破の有効性を表すものとしてとら
>えたほうがわかりやすい。
その1点だけは理解できたような気がする。
要するに蜀軍サイドとしてはいかに魏軍を分断して各個撃破するかが
北伐成功の死活を握るかぎなんですな。

それを上手に説明するためにランチェスターの法則ってのはあるんだと
思うのだけど…。
二次法則が適用される戦場で蜀軍5万vs.魏軍25万が戦闘したら、
蜀軍が全滅したときに魏軍は何万のこっている計算になるんでしょう?

251 :220:2001/02/11(日) 17:20
>>250
被害者の割合は、兵士数の二乗の反比例になるので
戦力差1:5だと25:1になります。
つまり、25:1 = 50,000:2,000

というわけで魏の稼動兵士は248000人ということになります。
完敗、完敗。というわけで、この場合蜀は決戦を求めてはいけない
ということになります。出来るだけ、局地においてこの比率を下げる
戦い方が要求されます。

252 :250:2001/02/12(月) 02:25
ふーむ、蜀軍が全滅しても魏軍はほとんど無傷か…
(あくまで理論値、という理解にとどめておくのが正解?>>251殿)
でも、こう言われてみると一生懸命魏軍を分断して、なおかつ
正面決戦を避けないと我が(実はファン)蜀軍の逆転は
ありえないということが切実にわかる(^-^
<分断策>
・荊州からの陽動
・呉軍との連携
・北方民族によるけん制
・魏内部の内訌を画策
諸葛丞相も打てるだけの手は打ってたんでしょうけど、
後は正面決戦をせずに魏軍の戦力を消耗させる策ですな。

253 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/12(月) 03:46
呉が甲斐性なしだから無理
陸遜がチキン
諸葛兄弟がコンビで魏を攻めればおもろい

254 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/12(月) 04:18
↑しょーもないアホはマジレス中には参加するな

255 :>254:2001/02/12(月) 06:53
  Λ_Λ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 (    )< うざかったら無視すればいいだろ
 ( O   )  \_________
 │ │ │
 (__ (__)

  ∧_∧
 ( ´∀`)彡 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( O   )  < お前がいつも家や学校でされてる様にな
 ││ │   \________
 (__(__)

256 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/12(月) 16:39
荊州は諸葛亮の構想の荊州にのこり、洛陽方面と呉に睨みをきかせ、
蜀制圧はホウ統が成し遂げ要だった。
もともとは、諸葛亮が、
その後、ホウ統が長安へ、関羽が洛陽へ同時に進攻するのが、
諸葛亮の構想。

ホウ統が戦死して、諸葛亮自ら入蜀しなきゃならん事態になったことで、一つ大誤算。

諸葛亮が荊州に残っていれば呂蒙なんかに負けなかったかな?


257 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/12(月) 16:45
荊州は諸葛亮の構想の要だった。
もともとは、諸葛亮が、荊州にのこり、洛陽方面と呉に睨みをきかせ、
蜀制圧はホウ統が成し遂げる。
その後、ホウ統が長安へ、関羽が洛陽へ同時に進攻するのが、
諸葛亮の構想。

ホウ統が戦死して、諸葛亮自ら入蜀しなきゃならん事態になったことで、一つ大誤算。
関羽が単独で魏を攻め、呉の裏切りにあい、荊州喪失、その時点で勝負ありだね。

諸葛亮が荊州に残っていれば呂蒙なんかに負けなかったかな?


258 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/12(月) 17:19
>>257
呂蒙に負けるとゆ〜か、呉との戦闘が起こらないでしょう。

259 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/12(月) 19:48
荊州を任せるのに、関羽以上の人材がいなかったことが痛かった。
こういうことを言い出すと魏や呉も一緒なのでキリが無いが
ただでさえ人材が揃ってない上にホウ統、法正などの早死にが痛い。

260 :姜維伯約:2001/02/12(月) 20:49
所詮馬良と関羽では合戦でこそ勝利を得るも国と国との駆け引きでは役不足だということか。

261 :姜維伯約 :2001/02/12(月) 20:51
士元が荊州に残り孔明が蜀攻略ではイカガかな?

262 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/12(月) 21:58
あほか

263 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/12(月) 22:33
趙雲も荊州に残るはずだった。
松張、法正もうちょっと働けよ。

264 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/13(火) 00:49
>>261
それはNG。
戦術だと孔明より士元が上、っていうのは定説みたいよ。
孔明は戦略家。

考えてみると、士元が早死にしたところから、玄徳の運命は狂ってたのか。

265 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/13(火) 10:10
連休でしばらく来ない内にトンデモが・・・

266 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/13(火) 12:07
というか陳寿の記述では、ホウ統が戦死したしないに関わらず、
初めから益州攻略には諸葛亮も参加する計画だったように読めるけど?


267 :令君:2001/02/13(火) 13:10
すくなくとも荊州に孔明がずっと残るってことはまずないでしょね。

268 :厨房の戯言:2001/02/13(火) 16:54
システム、というか組織がハッキリと構築されていない昔の
ことですから、やはり個人の能力が大勢を左右するのでしょうか?
どうも小説的な、というか英雄的な事象が多いのではという思いが
拭いきれなくて…


269 :馬超孟起:2001/02/14(水) 03:17
俺が生きていれば・・・・ というか俺の出番少なすぎ! 北伐前に死ぬし

270 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/14(水) 05:50
またクソレスが多くなったな。

271 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/14(水) 11:58
>244
天然は気楽でいいね・・・。
こいつ、今の日本でも森がやめれば日本経済が復興するとか、
本気で信じてるんだろうな・・・。

272 :王平:2001/02/14(水) 18:01
>>251
馬謖殿、その結果を導いた時点でモデルの適用を誤ったことに気付きめされい。

273 :兀突骨の妄想:2001/02/14(水) 19:44
面倒なので漢中は既得としておく。最終目的を中原の進出としなければ
ここで北伐を考える意味はないので積極防衛説は除外しておく。

漢中から関中、中原へと出るには長安の確保は必要不可欠。長安を押さえれば
十万程度の兵力で函谷関より西の地域を下すことは十分可能。要するに北伐の
とりあえずの目標は長安占拠。

長安占拠への道は概ね直接長安強襲と涼迂回の2択。

涼迂回ルートは漢中から関中への兵站が困難であるため兵站基地を
敵国に求めつつ順次進行していくという長期戦略。
孔明や姜維その他が知恵を凝らして何度も挑戦したが全て失敗。以上。

長安直撃ルートは当面兵站を意識する必要はない。長安はまともに
守備されたら100万の兵力でも落ちない。従って奇襲から速攻で
落とせなかったらその時点で失敗。退路を塞がれていたら失敗即全滅。

もし長安を落とせたらとりあえず各関を堅めながら以西を順次攻略する
ことができる。漢代で生産力が落ちたとはいえ関中には秦代以来の穀倉が
たくさんあるので当面は兵糧には困らない(と思う)。多分数万の兵力を
巡回させるだけでたいした戦闘もなく収まる。これ以降は劉邦対項羽の
状況と似た状態になり、戦闘と外交を両方絡めて勝負が決まる。おそらく
漢を詐称する逆賊蜀につくような諸侯はほとんど現れず中原進出失敗、
じり貧で元の木阿弥になるだろう。運が良ければ呉が機に応じて一気に
天下をとれるかも知れない。

総評
もともと国力が圧倒的に違うのでどこかでバクチを打たなければならない。
結局孔明は最期までバクチを打てなかった。これは後ろに国家という
守るべき物を作ってしまったから仕方ないとも言える。国家というほどの
体制を整えていない独立勢力だったら何の迷いもなく長安直撃に賭けるだろう。
そして9割方きれいに全滅していただろう。
結局劉備のような寄生虫が蜀に来て漢朝を詐称したのが蜀の民の不幸。
これまでの寄生地のようにさっさと魏に奪われていれば平和に暮らせたものを。

ああ、ウロコが痒い。

274 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/14(水) 19:47
長い、長すぎる

275 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/15(木) 03:48
age


276 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/15(木) 07:53
私は恐らく孔明が本気で北伐をやった(勝てるかもと思った)のは第一次だけだとおもいます。
恐らくその後はほぼ国是としてやってただけでしょう。でなければ捲土重来を期したにしては各戦闘があまりにあっけない。
やる気が無いといってもいいぐらいでしょう。
多分、孔明は第一回の時は長安の占領は四分位の勝率を見込んでたんじゃないですかね。それが街亭で崩れた。
また、魏延の奇襲策は総合的に見ると取り上げられない物だと思います。
恐らく成功する確率は結構高かったと思いますが、問題はその後ですね。まず長安の維持がほぼ不可能である事。
戦力的な違いもありますが、敵地でのしかも敵の拠点に於いての篭城はまず無理と思えます。
この場合孤立した長安を確保するため、本隊は否応なく合流するか救援しなくてはいけません。
敵地において敵の主力と分断されたまま正面決戦です。勝ち目が薄いでしょうし、敗北の被害も大きいでしょう。
また長安を再奪回されると政治的に非常にまずかったと思います。
この場合緒戦に勝って大敗するより、惜敗であったほうが良かったのではないでしょうか。
緒戦の勝利は一旦は政治的宣伝になるかもしれませんが、その後負けてしまえば
「やっぱり魏には勝てないんだ。最初は威勢が良くても結局負けるのだ」と思わせ、その後は内応する地方も慎重に
推移を見て簡単には協力しなくなるでしょう。
こうなるともう北伐どころか蜀漢の基盤さえ危うくなったんではないでしょうか。
私は以上のように思うんですがどうでしょう。

どうも長々と乱文を書いてすいませんでした。



277 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/15(木) 08:57
まずは孟達がやられない事。
呉が積極的に兵を出すこと。
戦略レベルでこの2つが出来てたら、北伐成功の可能性もかなりあがっただろう。

278 :令君:2001/02/15(木) 11:36
まず、孟達はきっかけにはなったが成功率には大した影響はない
と思う。(結果論だが)
当時、呉は積極的に兵を出していた。
って、いきなり全否定してしまった。


279 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/02/15(木) 15:54
呉は魏から寸土も奪えていないのではないか?
雍州の地を一時的とはいえ占領した蜀とは戦果が
段違いだと思う
呉との戦闘で魏の大物は誰一人戦死してないし・・・

280 :250:2001/02/15(木) 18:26
>>272 (王平)殿
「二次法則が成立する戦場」ということで>>250の質問を振ったので、>>251での
回答は一応いいんじゃないかと思うのです。理論値ですし・・・。
(呉について)
地図で見た皮相的な印象にすぎないんですが、対魏戦線での呉の防衛線って
なんかものすごく長いような気がしませんか?なかなか渡河北進できる兵力を
捻出するのはつらそうです。
(本題)
さて。
寡兵をもって大兵に対するに、たとえば大平野のようなところで正面からぶつかると
ろくなことはなくって、たとえば山間の細い道を進んで来させて順次叩く
ような感じが寡兵必勝のイメージの一つだと思います。
北伐の進路の中で、それっぽい場所ってありますでしょうか?
魏軍に攻めさせて、漢中に誘い込んで袋叩きというのなら行けそうだなあ、って
思うんですけど・・・。

281 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/15(木) 18:57
>>272
5倍の兵力と戦うってのは、単純にいっちまえば1人で5人を、
2人で10人を相手するってこと。
多い方が殆ど損害無く勝てるってのはあたりまえ。

282 :王平:2001/02/16(金) 00:43
>>280
おお、ほんまや。前提があるのを見落としていた。これは失礼いたした。
でも当時の戦いに2次法則を適用するのはあの結果からいって明らかに無茶。

>>281
はぁ?

283 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/16(金) 00:58
>>279
孔明の北伐の時期には戦果をあげる事は出来なかったけど、
周瑜が曹仁からもぎ取った荊州はかなりデカイ戦果だと思うよ。

284 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/16(金) 01:25
>>283
荊州が蜀に残ってれば、もっと面白くなってたとは思わない?

285 :妄想男 with ウロコ:2001/02/16(金) 03:05
>>276
第2次北伐以降の孔明の心中はわからないが、ほぼ勝ち目のなかった
ことは間違いないだろうと思う。もともと国力の差があるうえに
しっかり準備を整えられては到底あの秦嶺山脈を越えて成果を
あげられるとは思えない。

というわけで、北伐成功の可能性が唯一あったのは魏の準備が
整っていなかった1次のみだと私も思う。

さて仮に奇跡的に〔笑)長安を速攻で落とした場合、これはどういう
状況かというと、臨戦態勢の整っていない状況の強襲にびっくりした
長安の太守はろくに反撃もできずほうほうの体で逃げ出したということ
以外あり得ない。この状況で即座に中原につながる各関に数万程度の
兵を送れれば函谷関や武関を押さえるのは問題ないと思われる。当時の
連絡体制は今のように速くないので各関に報告が入って数日後には
攻め込める。かの要害函谷関も関中方向からの守備にはそれなりの
兵力が必要。

逆に各関に数万程度の兵を入れられれば中原からの兵はそう簡単には入れない。
とりあえずは守りに専念して時間を稼げばいい。

長安を押さえれば以西の都市は各々数百〜数千程度の兵がろくに連絡も
取れずに散在しているに過ぎない。もちろん中原からの援軍はあり得ない。
それらを即座にまとめるような実力者がいないかぎりどんどん勝手に
寝返る。ご存知のとおり涼の地域は中央への帰順意識は低い。
その場面場面での実力者に従うだけ。さらに第1次北伐ではあらかじめ
いくつかの都市は調略済みだったようだ。

要するに、長安を速攻で落とせるような魏の準備状況だったら関中以西を
押さえるのはそれほど非現実的ではないというのがわたしの妄想。
ただし、最初の前提である長安を速攻で落とすという事自体がかなり
無茶なバクチ。

ああ、また背が伸びてる。

286 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/16(金) 14:54
>>284
関羽みたいになるだけでは?
つっこんで結局おとせず撤退・・・まぁ、呉も似たようなことしてるが。

287 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/20(火) 07:23
age

288 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/20(火) 09:35
勝ち目?僕にはそんなことは関係ないんだよ竹田君。
僕は自動的なんだよ。
世界の危機を感知してうかびあがって使命感で闘うんだよ。
司馬仲達は世界の敵なんだよ。

289 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 17:55
結局北伐で一番得をしたのは仲達か・・・。

290 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 18:11
変換ウザイんでカタカナ使うが
仮にケイ州がもちこたえてホウ統が戦死しなかったならどうなったろうか?
やはり漢王朝復活か?

291 :290:2001/02/23(金) 18:14
というかホウ統や関羽がいないだけでそんなに結果がかわるもんなのか?
確かに髭の親父は剛の者だがホウ徳のせいで一騎打ちできなくなったし、ホウ統ひとりいないからって法正やら馬良使えば大丈夫だろ。


292 :290:2001/02/23(金) 18:15
そんなわけで丞相が悪いということが判明しました。

293 :290:2001/02/23(金) 18:18
そもそも正史だか演義か忘れたけど諸葛亮は政治でこそベタボメされてるけど軍略では眉唾もんとか言われてなかったか?羅貫中が言ってたような気がするが…

294 :290:2001/02/23(金) 18:18
あれ?羅貫中ってどっちだったっけ?忘れた鬱だ氏脳…

295 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 20:29
演義じゃない?

296 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 21:30
>>290馬良つかえねぇ。
イリョウの大敗は劉備の暴走を止められない
ヤツにも責任あるだろ。

297 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 21:39
>>296
関羽の救援の使者になった時も、もっと急げば良かったよな。
碁をうつしか能がないのか?

298 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 21:56
孔明にすら止められなかったあの時の劉備を馬良に止めろなんて無理。


299 :コッパ:2001/02/23(金) 22:58
>>293
なんかの本に
孔明たんは策士より政治家ぽかったって
かいてあったね

300 :魏文長:2001/02/23(金) 23:06
勝ち目というか、可能性としてはワシの策の方が上策だったろうな。
90%負けかもしれんが、長安を得ればその後についてもかなりの可
能性を望めるし、それこそ2国ではなく3国であることを考えれば、
既に魏とも互角と言える状況になったはずだ。
ただし、その策が成功する可能性は、かなり低かったのも確かだし、
失敗の際の被害も孔明策とは比較にならなかったことも想像できる。
あの孔明という男は、確実に差を縮めて魏の失策を待つ、ということ
を考えていたのだろう。しかし先帝の意を思い、彼我の状況を考えれ
ば、あそこは乾坤一擲、のるかそるかの賭けに出るべきだったと、ワ
シは今でも思ってるぞ。

301 :諸葛孔明:2001/02/23(金) 23:08
長安奇襲など無謀の一言!

302 :魏文長:2001/02/23(金) 23:11
無謀をやらねばならぬときを見切るのが武士というもの。ろくに
戦場も知らぬ長袖が大きな口を利くものではござらぬわ。

303 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 23:15
南は趙子龍・黄漢升を大将とし、参軍に馬良と法正(生きてるか?)をつけてジョウヨウを奇襲。
中央は馬岱・王平ら諸将を使って誘導作戦をとる。
北は本隊、鬼神馬孟起、魏文長らを動員して大将を諸葛孔明とする。参軍はトウシ、バショクあたりで。
こうして魏の長安、南のジョウヨウを陥落せしめて蜀の国土を倍増させるのだ!
これぞアタナシウス派作戦!!

304 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 23:28
ところで、馬良って軍事面でなんかしたの?
イリョウも作戦を立てて指揮したのは劉備でしょ。
似たようなとこで、徐庶も文官って感じで軍師ではないよな。
蜀って、大軍を指揮できそうなのは、孔明と法正だけか。

305 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/24(土) 00:04
馬良は、私も資料が無いのでなんとも言えんが、
少なくても当時の蜀にとってはそれなりに才能がある人間だと思う。
白眉というネタがあるぐらいだしね。

しかし、たとえホウ統や法正、五将軍がいたとしても、北伐は勝てないと思うが。
国力の差もそうだが、彼らがそろっていても、人材でも魏が有利かと。
実際名の死れない武将とかでもそれなりの将校がいそうだし。
まぁ、それだけの人口の差があったため、人材にも差があるんだが。

内部崩壊でもない限り、現実的に無理だったはず。


306 :机上の暴論:2001/02/24(土) 12:02
街亭で馬謖を起用したのは、お気に入りだったからじゃなくて、
あくまで主力を温存したのではないか?
相手は張コウだから、魏延でも勝てるかどうかは分からない。
それなら、こっちは守りに徹し、主力を別方面へ向けようなどと
孔明は画策していたのではないか?

陳倉道から陽動部隊を出して、張コウを挟撃する気配を見せる。
それにつられて、曹真や長安防衛部隊が西に動いたその時、
魏延が子午道から長安を衝くのだ!
後はオセロの法則に従って、長安と街亭の間は蜀、蜀、蜀。

兵力? 連携? 移動時間? さて、どうしましょうか。

307 :張益徳:2001/02/24(土) 18:44
魏延の考えにも一理あったんじゃねーのか?戦なんざ動かしてみなきゃわからんよ。

308 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/24(土) 19:07
>>307
軍を動かす前に勝ちを決めるのが戦略。
現場で、勝ちを確立するのが戦術。


309 :楊威公:2001/02/24(土) 19:23
バカ同士意見が合うんだな(藁

310 :ue:2001/02/24(土) 20:36
正確な人口数など、諸条件がわからないのに、成功するかどうか論じるのは、
まったくの無駄ですね。

311 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/24(土) 20:56
兵糧切れ、という前もって予想出来る問題で敗退するのは、戦術で敗れるより遥かに
問題であるような・・・

312 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/24(土) 22:24
>>231
キョウイの防衛構想はある程度成功してたんじゃないの?
ショウカイも撤退の相談をはじめた、て書いてあるし。
孔明の防衛マニュアルなら落ちなかったのかなあ。

313 :魏文長:2001/02/24(土) 22:29
先帝の意を考えれば、5%の確率でも魏を滅して漢朝の復興をめざす
ことこそが我らの目指す道であったはずだ。95%の確率で成功する
として守りを固める策をとっても、30年やそこらで滅亡するならな。

314 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/24(土) 22:31
費偉が姜維にこういったそうだ。
「我々の能力は孔明殿には遠く及ばない。その孔明殿でさえ中原の略定は
結局できなかった。
いまは立派な政治を行って、国家の存続を図ったほうが良い。
大規模な軍事行動は有能な人物の出現を待ってからでも遅くはない。
僥倖を期待して、一挙に勝敗を決しようなどと考えるな。
もし失敗したら、それこそ取り返しのつかぬことになる。」
費偉が不慮の死を遂げた後、姜維が軍事面での権限を握った。
そして姜維が積極的に軍事行動を毎年のように起こした結果、急速に
国力を消耗させて蜀滅亡の原因をつくった

315 :312:2001/02/24(土) 23:24
>>314
それは良くわかってるつもりだけど、
俺が書いたのはトウガイ・ショウカイのショク攻略時の話で・・・。
孔明の防衛マニュアルは実績もあるけど、
トウガイの山越え谷越えも防げたのかなあ、て事。
一応小数ながら、兵は配置してたみたいだけどさ。

316 :296:2001/02/24(土) 23:27
>>298とめる、というか劉備と一緒に出陣してたのに
その陣形は危険、と指摘出来ないのが問題なんだと。
そうかけばよかったね。

317 :312:2001/02/24(土) 23:32
>>314
あっ、勘違いして返レスしちゃった。スマソ。

318 : 無名武将@お腹せっぷく :2001/02/24(土) 23:34
>>314
漢晋春秋より、だな。
でもそれでよかったんだよ。キョウイの最後なんて
涙なくして見れないでしょ。劉禅はホント家臣にめぐまれてるよ。

319 :バケラッタ@いたさ大爆発:2001/02/24(土) 23:46
キュウリの最期はみごとでした。

320 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/24(土) 23:48
>>316
劉備は既に黄権の献策を退けているし、馬良としてはそれ以上何かいうことは
憚られたのだろう。

321 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 00:05
五虎将がみんな若ければ…あるいは、

322 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 00:30
いや戦争は兵の数、国力の差で決まる
一個人の力が及ぶのも限界があるし

323 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 21:15
やはり鳳雛先生さえいてくれればな。

324 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 21:59
現代でいうと
魏=アメリカひきいる西側諸国
呉=中華人民共和国
蜀=朝鮮民主主義人民共和国

みたいなもんですか?

325 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 22:19
>>324

魏=アメリカ
呉=ヨーロッパ連合
蜀=日本

くらいじゃない?



326 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 22:33
人材不足じゃ・・・

327 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 23:22
>325
それじゃ、ほとんど互角じゃん。

328 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 23:24
>>325
北朝鮮が「統一」を叫びながら軍事的緊張を保ち、国家を運営している
状況というのが蜀となんとなく似てると思ったので。
当主もちょうど二代目ですし。

赤壁の戦い=朝鮮戦争って感じなんですが、無理があるでしょうか?(笑)


329 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/25(日) 23:28
>>328
とすると諸葛孔明は誰ぞ?

330 :328:2001/02/26(月) 00:13
>>329
有名になって無いだけで、実際にはいるんじゃないですか?
今の北朝鮮の状況で反乱も大戦も起きないってのは、
優秀な政治家が存在してるからでしょうし。

漢帝国滅亡=大日本帝国滅亡
献帝=昭和天皇
曹操=マッカーサー

ここまでくると、こじ付けです(笑)


331 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/26(月) 03:22
アメリカと北では
国力に1000倍ぐらい差があると思う。

魏と蜀ではせいぜい20倍程度かな。

332 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/26(月) 07:59
>>300 >>313
同感。
ただまぁ、一武将の意見としちゃぁそれで良いかもしれんが、
孔明のように国政に携わる立場からすれば「のるかそるかの大博打」なんて
許される考え方ではなかったのだろう。
>>325じゃないが「アメリカに勝つ確率が5%ある。よし、攻め込もう」
なんて奴が総理大臣だったら、俺ぁイヤだぜ(w

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/26(月) 23:58
>315
あれって、成都に籠城して、姜維を呼び戻して挟撃したら撃退できたんじゃない?

334 :いつのまにか・・・:2001/02/28(水) 00:41
「北伐スレ」から、「蜀漢勝利までの道しるべ(IF)」
になってるね

335 :魏文長:2001/02/28(水) 00:58
>>332
言ってることはわかるが、蜀漢の成立というものを考えれば、魏と同じ
天を仰ぐわけにはいかぬという気持ちもわかって欲しいところだ。
そもそもが、魏に対しての蜀なのだ。それが先帝の建国の意思だと、わ
しは思う。そして、そう信じてきた。

336 :無名武将@お腹せっぷく:2001/02/28(水) 19:41
北伐はどうすれば成功するか?なのだから
荊州云々、鳳雛云々いってもしょうがないだろう。
出師の表からいこうや。

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/28(水) 19:51
ここでかきこしてる連中が、実際、軍の参謀になったら、敗戦確実だな。

338 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 01:24
孔明は山越えで蜀が落されることを予想していたんだよね?
その人物の名前も。(正史だったかな)
キョウイにそれ教えといてやればよかったのに。

339 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 01:37
>337
オマエモナー

340 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 02:38
キョウイってそんなにすごいの?
あんまり伝わってこん。

341 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 02:51
脅威ってぐらいだし

342 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 02:54
公明亡き後、蜀漢の前線を支えた人だからね、姜伯約は。
彼の配下に夏候覇とか、関羽の息子とか、趙雲の息子とかが居るし。


343 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 03:45
>338
陰平の険が…とは正史でも残っていた。(よなーたしか)
鐘会とトウガイッてのは演義の創作だよ。



344 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 07:00
孔明も姜維も「攻撃は最大の防御」と考えてたと思う。
ただ姜維はそれに見合う内政ができんかった…

345 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 09:12
>>342
五虎将(便宜上)の子供達はどれもパッとしないね。
夏候覇も北伐に参加したのは1回くらいだっけ?

キョウイは結果だけ見ると大した事無いけど、
孔明やトウシ、トーガイ、ショーカイといった
当代一流の人物?に評価されてるのが
彼の複雑なトコと思う。
インテリ系に好かれるタイプ(馬−shock)?


346 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 09:58
>>344
いや、蜀漢の内政の人材は良かったんだよ。
費偉や蒋宛といった内政の達人がいたからね。
二人とも横死したのはイタかったけど。
姜維は、この二人に「北伐に動員できるのは兵員1万まで」とか枷をはめられていたんだね。
それに、一人で軍事も内政も期待する方がちょっとアレだと思うよ。
戦国時代じゃないんだから。

347 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 12:21
キョウイを先鋒に上庸を攻略しようとした
ショウエンの北伐も興味あるな。
やっぱ舟じゃダメだったのか。

348 :TAKEOFF@お腹すっきり:2001/03/02(金) 12:19
age

349 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/05(月) 05:01
三国志は長いはなしだから
北伐の頃の物悲しいところを読んでると

「李儒」とか懐かしいよな

350 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/05(月) 11:30
もし荊州を維持出来てたら
リュウビはどーやって北伐するつもりだったんだろ?
関羽と同時に侵攻?

351 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 05:44
もし、ずーーーーと蜀にこもって守りを固めていればどれぐらい持ったかな。
100年?

352 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/12(月) 03:31
age

353 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/12(月) 03:54
この時代に、国力ってどの程度重要なんですかね。

この時代は戦争も総力戦ではないし、
なによりも国家が国民国家ではありません。
もちろん、国力はとても重要な要素ですが、
第1次大戦、第2次大戦と比べるのは、
ちょっと違和感があります。

354 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 00:00
蜀にアプサラスがあれば魏なんて屁みたいなもんだ

355 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 21:49
>>349
懐かしい(笑)


北伐についてですが、
魏が蜀に位置にいて、
蜀が魏の位置にいたら、
(そして且つ魏が北伐を起こそうと考えたら)
魏は勝てましたか?
それとも蜀が守りきりますか?
兵力ももちろん魏蜀チェンジで。
放置プレイでも構わないですが。

356 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 23:15
>>355
魏の兵力そのまま蜀に持ってったら養えきれなくて
軍事行動どころでは無いと思う。


357 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 08:33
いやいや、兵力も、
魏が蜀の兵力、蜀が魏の兵力を引き継ぐの。
説明下手でスマソ。

358 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 12:40
勝てないだろうね
いくら人材が優れていても
国力の差が大きすぎる


359 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 12:53
蜀が広い領地をもてあまして内部崩壊の可能性はどうだろう?
司馬懿あたりの策略なんかで。
もしくは魏延の独立とか(藁


360 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/15(木) 01:35
>>359
ネタだろうけどそれはない。
魏延は孔明が嫌いなだけで劉備には忠誠を尽くしてたからね。

要するに、将校クラスの人材だけをそっくり入れ替えるってことか。
魏軍を蜀将が率いて、蜀軍を魏将が率いると。

魏には籠城が巧い将軍が多いから攻め入れないだろうね。

361 :ぶんおう:2001/03/15(木) 03:14
選択肢って2つしかなかったの?
上陽攻めと孔明・きょういルート。
呉と一緒にケイシュウ攻めればいいのに。

362 :ぶんきん:2001/03/15(木) 03:23
荊州は大河川がそそぎ出る平野部で、
国力の差と地の利が圧倒的に戦に影響する。
そもそも昔からの係争地だし。
(魏は必ず荊州に優秀な将軍と大軍を配置していた模様)
よって無理でしょう。
魏が半ば無視していた辺境地からだったから
出兵そのものが成立したともいえる。

363 :ぶんおう:2001/03/15(木) 03:32
じゃ、上陽ってのもそんなによろしくないということか。
羊古はまだ早いか・・
誰なんだっけ?ケイシュウにいた将軍。

364 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/27(火) 00:47
>>363
襄陽を守備していたのは満寵じゃありませんでしたっけ?

365 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/27(火) 07:52
襄陽、曹仁→満寵→?
合肥、張遼→満寵→?
張遼が中央に戻る220年くらいまでなら、襄陽の守備は満寵だと思う。
やはり、魏は人材の層が厚いよな。

366 :ぷく:2001/03/27(火) 14:43
魏は政治家の人材の育成&豊富差が大きい
それと戦闘にはいるとやはり、兵力(数)がものをいう
荊州を、とると獲らないでは兵力動員数がちがうのじゃろ

あと、満寵ってそんなに優秀だったんだ・・・・
文官ってイメージがするんだけど



367 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/27(火) 17:35
・荊州があって、そこに関羽ファミリーズがいて、しかも関羽が失敗しない
・当然、夷陵の戦いは起こっておらず、呉と同盟を結んでいる
・張飛・馬超・黄忠が健在である
・ホウトウ・法正が生きていて、諸葛亮に代わって軍政を握っている(諸葛亮が兵権を手放さない可能性だってあるよね)
・劉備が生きているか、劉禅があれほどのボンクラじゃない
・ここまではifなんだが、やっぱり孟達は反乱を起こし姜維は孔明に心服してくれる
・長安への奇襲が絶対成功する
・あわよくば長安・洛陽を占領したあたりで徐庶が内乱を起こしてくれる

これだけ都合のいい歴史のifもないもんだが、それを思わせる蜀って凄い。

368 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/29(木) 01:38
街亭で馬謖が負けたことにより、トランプでピラミッドを造るように積み上げて
きた孔明の戦略は崩れました。それでもなお二次侵攻以後に勝ち目が残っていれば
彼を斬らずに延命することもできたはずです。やはり一次侵攻の失敗により
絶望的なまでに士気が下がってしまったことが、孔明にとっては馬謖のような
イタイ人物を斬ることなどより、よほど泣きたかったことだろうと推察します。

369 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/29(木) 15:16
>>368
なるほど、孔明は
「そなたほどの優秀な男でも軍令のために斬らなければならん」
ではなく
「このドアホが、てめえのせいで北伐の成功する可能性が0になっちまったじゃ
ねえか、一生街亭で浮遊してろ」
と思って泣いたんですね。

370 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/30(金) 01:36
>>347,361
ショウエンの北伐は漢水を東下して魏興・上庸を奪うと言うもの
ショウエンの北伐直前、実は呉が数箇所から魏に大侵攻を仕掛けている
なにしろ明帝逝去して1年くらいしか経ってない。ゴタゴタを衝いた
多分、ショウエンもそれに合わせるつもりだったんだろうが
1・所詮2国の合同作戦だから連携が取れず、ショウエンが行動する前に呉は撤退
2・準備中にショウエンの持病悪化、計画延期
3・ショウエンの作戦内容を知った成都のみんなが大反対
4・ヒイが成都からその作戦はナシにしてね、と説得に来ておしまい
まぁ、夢だったな。

371 :無名武将@お腹せっぷく:2001/03/31(土) 02:02
荊州ルートは初戦の勢いをかって、許を一気に狙えるのがいいところ。
その後が続くかは別問題だが。

372 :☆「自作曲、聴いてよ」スレッド☆ 2nd Mix:2001/04/25(水) 22:29
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=dtm&key=978181718

373 :無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 20:47
定番スレage
この1ヶ月住民変わってしまったのか?
dat逝き直前ばっかだよ 鬱。。。

374 :馬超:2001/05/17(木) 21:25
俺が生きてりゃあ、涼州で兵数万食料付で援軍に出来ただけに惜しい。早死にして孔明すまん。

375 :無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 21:52
>>373
変わったと言うより、見ても得るものが無くなったからだろうな。
漏れはネタが割り込んで話のコシが折られるより、漏れ一人で勝手にやってく。
脳汁ぢるぢる出しながら、1万字でも2万字でも刻んでやってくつもりさーアハハン。

376 :無名武将@お腹せっぷく:2001/06/03(日) 18:34
>>325
北朝鮮が「統一」を叫びながら軍事的緊張を保ち、国家を運営している
状況というのが蜀となんとなく似てると思ったので。
当主もちょうど二代目ですし。

赤壁の戦い=朝鮮戦争って感じなんですが、無理があるでしょうか?(笑)

377 :無名武将@お腹せっぷく:2001/06/03(日) 21:06
泣いて馬謖を斬る
↑これって、以前劉備に馬謖は信用するに足る人間ではない
から重用するなって念を押されたにもかかわらず、信用して
失態を招いた自分に対しての後悔の涙なんだよね実際は。
それがいつのころからか馬謖のような有能な人物を斬らなけ
ればならないっていう悲しみの涙だと勘違いして解釈する人
が増えてきた。

378 :幼常って名前からして:2001/06/03(日) 21:24
>377 その通りですね。寵愛している人物を泣く泣く切るという使われ方が市民権を得てますね。汚職がばれた議員を罷免するときとか・・・。

379 :無名武将@お腹せっぷく:2001/06/03(日) 22:00
>>377
「泣いて馬謖を斬る」の故事は「十八史略」が出典で
「蜀志・諸葛亮伝」にはそのような記述はない。
馬謖の責任を明確にするために兵士たちの目の前で処刑を行って
謝罪した、ということが書かれている。
「馬良伝」には馬謖が獄に下された後死亡したために
諸葛亮が涙を流したという記述はあるが。

380 ::2001/06/03(日) 23:57
すみません、三国志・戦国板用の看板を作ってみました。
これを採用してもらいたくて現在、布教中です。
永遠にこのバナーを掲載し続けるのが目標です。
ああ僕も有名人になりたい!
みんなも応援してください。
僕より上手い絵を書ける人なんていないんですから。
ザコはプロのいう事をきいてればいいんですよ。
さっさと応援しやがれ!

http://www30.tok2.com/home/koei/cgi/board/edit/up/34.jpg

381 :チンジュ:2001/06/17(日) 12:18
孔明じゃむりだったってちゃんと書いてあるでしょ?
ちゃんと読めよ

382 :無名武将@お腹せっぷく:2001/06/17(日) 13:20
つーか、誰がやっても無駄無駄無駄

それよか、あの状況であれだけやれた諸葛亮って、実はかなり戦上手じゃないか?
ま、人を見る目はなかったようだが藁

確かに、鎮守にしてみりゃ、勝てなかったんだから軍略なし、とする他なかったのかも
しれないけど。

383 :敗症氏:2001/06/17(日) 14:54
>>381
てめー誰だよ。

陳寿は「何度やっても勝てなかったんだから、臨機応変の軍略は
ちょっと不得意だったのかな?」ってゆったんだろーが!

384 :程c食人@お腹いっぱい:2001/07/03(火) 08:42
http://salad.2ch.net/test/read.cgi?bbs=warhis&key=988040931&st=13&to=13&nofirst=true

385 :回覧種人:2001/07/03(火) 20:06
北伐はどうすれば成功するか?なのだから
荊州云々、鳳雛云々いってもしょうがないだろう。
出師の表からいこうや。

386 :???:2001/07/09(月) 16:31
孔明の策が成功して、司馬イが魏から疑念を受ける。
司馬イは、魏に居場所がなくなる。
しかし、かといって蜀に降伏するのは癪に障る。
そこで、呉に帰順する。
それから、蜀の孔明と呉の司馬イが共同で魏にあたる。
さらに、北方系異民族も加わる。
これなら、可能性もあったかな?

387 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/09(月) 17:35
つーか、諸葛亮からすれば、呉のやる気のなさはかなり痛かったのでは?
もっとも荊州を失わなければ、史実程は呉に期待せずに済んだのかもしれないけど

388 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/10(火) 22:56
>>387
やる気がないというか。
諸葛亮が死んでからでしょ、呉が魏に対して大攻勢を仕掛け始めたのは。
諸葛亮が死んでからそんなことしてももう遅いっつーのな!

389 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/10(火) 23:00
たぶんZ武が蜀にいたらあのマッシーンで三国統一してたよ。

390 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/10(火) 23:10
http://curry.2ch.net/test/read.cgi?bbs=music&key=994343709

391 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/10(火) 23:25
>>387
>>388
は? 何言ってんだ?
いったいどこから呉がやる気が無いとか出てくるんだ?
諸葛亮がしかけたタイミングって魏と呉がどんぱちしてる隙を
狙ったんだぞ。

392 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/10(火) 23:43
その割には、当時の魏の主力と思われる面子が対蜀戦に向けられてないか?

393 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/10(火) 23:45
>当時の魏の主力と思われる面子が対蜀戦に向けられてないか?
頭悪いネ

394 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/11(水) 00:30
ここでも三国志ネタやってるんだけど、誰も来ないみたい。
ttp://www.megabbs.com/history/index.html

395 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/11(水) 05:19
>>392は夏侯ぼうが魏の主力と言いたいらしい

396 :名無しさん@三国人:2001/07/11(水) 21:43
夏候淵の養子の曹操の娘婿が出るのを曹叡はどう思ったか。
というか鐘大夫がいなければ司馬仲達は荊州でずっと隠居していただろう。

397 :無名武将@お腹せっぷく:2001/07/11(水) 22:05
つーか、芝居が失脚したのって演義の創作でしょ?

398 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/02(木) 07:39


399 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/02(木) 22:56

北陸地方のような蜀から
関越自動車道ルートまあ三国峠越えをして
高崎前橋である長安に攻め入ろうとした感じかな?

長野県のような荊州を失って
上信越道ルートもしくは中央道ルートからの
直接侵攻ができなくなったのは痛かったね

新潟県は安定、天水とかのようなもんかな
名古屋は建業、烏丸は勝浦、赤壁は日本ライン

400 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/02(木) 23:33
ライフル持っていれば勝てた。

401 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/03(金) 01:38
赤壁は諏訪湖だろ

402 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/03(金) 02:17
核だ!核もってこいっ!!

403 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/04(土) 16:17
向こうにもタイムスリップ小説とかあるのかな
「三国演技」撮影に向かう中国人民解放軍が三国時代に!

404 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/05(日) 00:36
>>403
ドラマで見る限りは、お前等やる気あんのか!って怒られそうだな。

405 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/17(金) 14:43
孔明は司馬親子を焼き殺す寸前まで追い詰めました。
これでも無謀?

406 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/17(金) 15:31
>>405
ううむ・・・演義を根拠にするレスに対し、どうレスすればいいのだろうか・・・

407 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/17(金) 15:44
北伐が成功して、魏が滅亡していたら
劉備・孔明の人気はいかほどのものであった事か。

408 :無名武将@下痢:2001/08/17(金) 19:32
>407
孔明・劉備の人気というのはいわゆる漢代以降の儒学思想が
元代朱子学として大成されてできた当時の「三国演義」が頂点ですからねぇ。
407が言うのは日本における忠臣蔵のような考え方なんでしょう。
あるいは政権簒奪者の汚名を着せられたかも知れないですね。

劉備・孔明があれほどの評価を受ける裏には、陳寿の「三国志」執筆に対する
ひとかたならぬ努力がうかがえる。383がいうのも正論だが
「魏」を正統とする正史からいえば1地方政権に過ぎない蜀の主を「先主」「後主」
と称号するか?同じ事を「呉書」に見るとただ、「呉王」となっているだろう。
陳寿の生きた時代には孔明はすでになく、それでもその活躍を単一の「伝」にたてるということで
その他の武将たち(たとえばホウトウ)と区別したかったんじゃないのだろうか?それだけ孔明の活躍は
後世伝えられていったと解釈することもできると思うが。

409 :曹叡:2001/08/17(金) 20:08
圧倒的な国力差を考えれば、魏延の長安急襲策以外に蜀の勝ち目は
なかったってのが現実でしょ。
セコい局地戦の勝利幾つ積み重ねても魏はビクともしないよ>孔明

410 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/17(金) 20:53
圧倒的な国力差って。。。魏にそんな余力あるかって

411 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/17(金) 21:32
短期的な勝ち目と、長期的な勝ち目を履き違えてる気がする。

412 : :2001/08/17(金) 22:39
>>409
このスレ全部読んどけよ

413 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/18(土) 02:29
>>408
朱子学で描かれた三国志が「三国志演義」
戦後民主主義で描かれた三国志が「蒼天航路」

414 :法正:2001/08/18(土) 10:25
 折角蜀を手に入れて、色気を出さずに天蓋の地を死守すれば蜀は安泰..
荊州は手放すには惜しいが、一層の事呉との協同を考えるならば、呉に渡す事も
一計であったと考えます。
蜀の国力を十分整えて、仕官を整えて周辺に睨みだけを利かせとけば歴史は
変ったと思うが、結局、劉備のワガママが蜀を没させたと考えて良し。

415 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/18(土) 14:10
荊州は満州で、夷稜の戦いはミッドウェー海戦

416 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/18(土) 16:25
満州の半分をアメリカにくれてやってれば
日本は朝鮮台湾千島南樺太などを保持できた?

417 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/18(土) 18:24
ぶっちゃけた話赤壁以降魏も維持に一杯一杯な感じだよな。
蜀以上に人材のレベルが低いと感じるのはオレだけか?
アメリカと日本程の差はないとしても、一人一人の能力は
そんなに高く感じないよね。
数で押すことに慣れ切っちゃってるよ、アレじゃ家来に乗っ取られるのも
無理無いわな

418 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/18(土) 18:24
>>414
激しく同意!
魏と呉が結ぶことは蜀に勝った後の呉の軍事バランスから言ってあり得ない。
呉と同盟がその時のベストな戦略。
劉備も私怨を捨てられなかったから真の皇帝になれなかった。
まあ、攻めなかったら劉備を劉備とは呼ばんけどね。

419 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/18(土) 18:26
>>414
むしろ関羽の調子乗り具合が決定的にまずかったような気がしない?
そのせいで結局劉備の脳味噌までアボーンしたし。

420 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/18(土) 23:44
結局荊州の失陥と夷稜の敗北がその後の蜀を決定付けたってことかな?

421 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/19(日) 02:03
呉は荊州奪還に燃えていたので、蜀が荊州を維持してたとしたら、
呉との堅い同盟は結び切れないと思うのだがなぁ。
蜀が呉を無視して北伐なんぞやりゃ、時機が遅いだけで荊州に
攻めこまれることは予想できるし。
>>414の言うように、蜀に篭ってれば時間は長くもったかもな。

422 :  :2001/08/19(日) 03:31
蜀に篭ってるだけだと受け身になってしまわないかな?

423 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/20(月) 02:17
age

424 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/21(火) 02:55
>418、421
 シロウト考えかもしれないけど、劉表が死んだ時点で劉備が荊州をのっとっていた
 らどうでしょう?

 >魏と呉が結ぶことは蜀に勝った後の呉の軍事バランスから言ってあり得ない。
 のなら赤壁は結局起きたと考えられるわけだし、呉も結局同盟には応じざるを
 得なかったでしょ。
 そもそも呉と蜀の争いが起きてしたのって、劉備がいつまでたっても荊州を
 返さないから、ということだけど、それも劉表が死んだあの時点で呉に攻め入る
 大義名分が無くなるわけだし、少なくとも劉備の脳味噌までアボーンした荊州の失陥と
 夷稜の敗北は無くなるのでは?

 

425 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/21(火) 05:12
>>424
無理だと思われ。
新野一城の勢力では劉表は叩けないと思う。
一応だけど、劉表は劉備に荊州を託すはずはなく、むしろ賢人達のサロンで評価されて諸葛亮やホウ統等を紹介される劉備を徐々に警戒していったので、奇襲をして成功したとしても蔡帽をはじめとした
古参武将は従わないと思われ。

426 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/21(火) 13:56
なんせ、新野時代の劉備ってほんとなんにもしてないからなぁ。
誰だ?「脾肉の嘆」なんて言葉作ったのは。

427 :ここには:2001/08/21(火) 14:09
グンオタはいないのか。北伐って結果的には只の積極的な
機動防御じゃないですか。
>>425
賢人達のサロン・・日本にも欲しい。平和を叫ぶだけで平和が訪れる
と思っている西洋哲学かぶれの知識人が多すぎる・・

428 : :2001/08/21(火) 16:20
>>426
夏侯惇と于禁の部隊を撃破してるね。
あとは、劉表に許を攻める様に進言してるぐらい。
まぁ、兵力が兵力だからな。

429 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/21(火) 23:51
史記を読むと諸葛亮についてよくわかると思われ。
天才には3つのタイプがある。
・張良  :アイディアマン。策で事を有利に運ぶいわゆる天才。
・韓信  :指揮官タイプ。戦略と戦術に長けた用兵のプロ。
・ショウ何:政治家タイプ。政策を遂行し国をよくまとめる管理者。

孔明は張良を少し含んだショウ何だろう。
用兵は常に孫子の兵法通り(空城の計とかは史実にはない)。
隙に乗じて勝ち。隙がないと勝てない。
かなり慎重なタイプなんだと思われ。
北伐は学者でさえ意見が一本化してないのでわからないけどね。
つーか、孔明はどうみてもいい人なので好きだ。

430 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/22(水) 01:32
>>429
外交は張良タイプとショウ何タイプのどっちに当てはまるんだ?

431 :名無しさんといっしょ:2001/08/22(水) 01:48
>>429
どちらかというと、
「張良」は戦略家。
「韓信」は戦術家。
が相応しいと思う。
戦略と戦術を明確に区別するなら、これが正確じゃないかと思います。

432 :429:2001/08/22(水) 03:41
>>430
孫権を説得できる才能から言えばショウ何より張良タイプだと
思われ。魯粛の後押しもあったけど。
>>451
戦略という点で張良の方が上なのは確か。視野は韓信より張良
が上なのは言うまでもないと思われ。わかりやすいイメージの
ためにちょっと誇張してしまった。スマソ。

433 :429:2001/08/22(水) 03:47
451 >> 431
度々スマソ。
史記をもう一度復習します…。史記は正直、子供だまし程度なんで…。

434 :名無しさん:2001/08/22(水) 04:26
関係ないかも知れないが質問。
基本的に王号って、王を僭称/即位した場所で決まるんだよね?
曹操は魏(許昌)で即位したから魏王、孫権は呉(建業)で即位
したから呉王。
劉備は漢中で即位したから漢王(漢中王)になれた訳だけど、
もし劉備が漢中とれてなくて即位したら蜀王になってたんだろか?

435 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/22(水) 04:30
>>415
荊州失陥がミッドウェー海戦で、夷稜の戦いはマリアナ海戦
だと思われ

436 :無名武将@お腹せっぷく:2001/08/23(木) 23:07
>>427
漏れはそうではないと思ってる>機動防御でしかない
諸葛亮チキンハーティッドの為にそう見られてしまいがちだが、個々の作戦を
検討していくと、それぞれに勝算のある作戦ばかりだったと思うよ。

「できるだけ少ない数の戦で決戦を仕掛け状況をひっくりかえすべき」という
ショウシュウの言葉は諸葛亮にこそ向けて欲しかった気もするね。

437 :無名武将@お腹せっぷく:01/08/27 21:32 ID:3lZYP3ME
>>312
亀レスすまんけど、蜀の防衛構想は諸葛亮により作られたの?

正史によれば、漢中の防衛システムは王平により完成されたが、
これをキョウイがいじったために、漢中失陥を招いた可能性が高いが。

そもそも蜀の防衛線はシンレイ山脈とその内側の拠点である漢中であって
漢中を失った後まで考えていたとは、あまり考えられないのだが。

438 :無名武将@お腹せっぷく:01/09/04 16:52 ID:dOR1.O9U
>>437
元々は劉備と曹操の漢中攻防戦のあたりに劉備が定めたもの。
王平が曹爽に対抗出来たのは、その時の遺産を利用したから、と蜀書にある。
(勿論諸葛亮も防衛構想を作りだしている。)


以降もショウエン、ヒイら歴代の首脳部によってその時々で変更を加えられてきたようだ。
最後に姜維が変更を加えたのだが・・・姜維がイジったから漢中が陥ちたというのは
短絡に過ぎると思われ。
漢中失陥に関しては他にも色々な条件が複合的に働いていると思う。

なんだか途中で止まってるが、↓でそういうことを考察している。
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/gkbd.147.401.html

439 :無名武将@お腹せっぷく:01/09/04 18:17 ID:HiTg0Abk
>>437
王平って何気に活躍してるんですね、
それにしても姜維ってどっちかって言うと
戦術家だったのかな?だから負けまくったとか?

440 : :01/09/29 16:15
>1
なかったけど
ケイ州出身組ばかりが高官ポストについてて
益州組の不満をそらすために
政治的な意味もあったと思われ。

441 :無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 16:51
天下を回復するにあたって四川(巴蜀)から攻め上がるのは定石。西漢の劉邦
が有名だけど、唐が安史の乱で一度四川に逃れてから長安と中原を回復
できたのも四川に逃れたことが幸いした。西晋の場合は匈奴に中原を蹂躙
されて南遷したことがそのまま地方政権に堕した原因であるともいわれる。
ゆえに、歴代中国王朝が苦境に陥り遷都を余儀なくされたとき、南へ遷都
することを嫌い西遷を勧める人が多かった。上記の理由から、北宋が金に
攻め込まれた時も南ではなく中原を回復できる見込みの高い四川に遷るべき
だとする重臣の意見があった。しかしながら、戦に疲れた高宋は南に定着し
和平の道を選択したのだった。

442 :無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 17:24
>>434
許昌は魏じゃないし(魏はギョウのあたり)、
魏王は献帝から曹操に、呉王は曹丕から孫権に、
それぞれ与えられた称号だから、即位という言い方はおかしい。

443 : :01/10/01 22:52
a

444 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/02 01:02
魏延が蝋燭を倒したからだYO!
逝ってきます

445 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 23:37
>>444
横山三国志の孔明は
本気でやってたし、他にも占星術で寿命図ってたから
成功してたら、生きてたのかな(ワラ

446 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 00:22
実際のところ、北伐は蜀国内の引き締めと魏に蜀攻め難しの
印象を与えるためのものでは?
四川盆地のみの領有では守るには守りやすいが、
その利点が災いして自軍も攻め難いですし。
巴蜀・荊州を領有していても、かえって戦略拠点が増えてしまって
戦線が手薄になりますしね。
北伐の条件としては、東は長沙まで、北は宛あたりまで領有していないと・・・
それなら魏延の子午谷を抜けて長安を陥落するという策は最高の策なのですが(藁)

447 : :01/10/12 22:19
北伐なんかしないで魏と同盟して
呉を先に侵略してしまえばよかったんだよ!

448 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/12 22:27
呉と同盟しないと魏には勝てないが
関羽がそれを壊した上元々呉との関係を
保つのは難しかった。

結局荊州取られた時点で蜀滅亡は確定したと。

449 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/14 09:59
もう大体結論は出たか。

450 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 19:39
>>449
結論なんて最初からないでしょ。
素人の俺たちは結論は人それぞれだ。
そういうわけで再び議論きぼーん。

451 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/20 02:14
だんだん「諸葛亮の北伐に勝ち目があったのか」から「蜀が北伐をして勝ち目があったのか」に変わってきてるな。

452 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 01:35
>>448
>関羽がそれを壊した上元々呉との関係を
いかにも光栄の影響を受けたかの様な推察だ。
不可侵条約を一方的に破ったのは呉の方だよ。
事実上は関羽が壊したワケじゃない。

453 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 01:39
その通り

454 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 01:42
呉のやってることは知り合いの家に泥棒に入っておいて
「鍵掛けないお前が悪い」って言ってるようなもんだ。
ひどいヤツらだよ。ホントに

455 :無名武将@お腹せっぷく :01/10/21 01:46
ただでさえ良くなかった関係を関羽がさらに悪化させたと、聞いたことがさるぞ。
関羽が直接壊したでないにしろ、軽視してたのは事実っぽい。
魯粛の死はやはりいたかったか。

456 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 01:49
孔明と魯粛の間で交わされた約束はどうする?
呉は荊州南4郡で満足しておけば良かったのにな。

457 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 01:57
呉が本当に欲しかったのは、南の4郡ではなく、北の南郡や襄陽。
彼等がそれらをかしたという意識がある以上、問題の解決になってないのは明白。
盟約を破ったのは事実だが、その盟約は貧弱なものだったのは間違いない。

458 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 02:58
>>457
呉は結局、目先の利益に走ったって事だよ。
関羽と一時的にでも共闘しておけば魏の中枢を叩くチャンスだったのに。
しかも唯一のチャンスだったと思われる。
関羽に罵倒された程度で国家の方針を変えるとは情けない。

459 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 10:35
そうかな?
確かに関羽はあの時、一時的には戦いを有利に進めていた。
しかし、呉の裏切りとは関係なく、結果的には負けていたのは事実。
ウ禁、ホウ徳を倒したのはいいが、曹仁を攻めけれず、後からきた徐晃に完敗。
それに呉が共闘するすれば、合肥を攻めことになるだろうが、そこを守るのは張遼。
これだけ人材の厚さに差を見せられているのに、チャンスだったとは思えない。

呉がチャンスと解釈してたかどうかは分からない。
ただ、彼等には蜀とともに戦う、しかも蜀のほうが戦功を立ててる状態をベストと
とらえれてなかったということだろう。

呉を擁護するような言い方をさせてもらえば、関羽に罵倒されて方針を変えたのではなく、
呉の中枢部はもう少し前から、そういう流れ(親劉備から反劉備)に変わっていたからじゃないか?

460 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 11:12
呉の合肥侵攻(北伐より規模大きい)を鉄壁のディフェンスで
満寵や張遼は防いでいますから関羽と共闘しても無駄だと
考えたのでは?
仮に関羽が魏に大敗して荊州魏に取られたらおしまいですし。
何より蜀連中を呉がどれだけ信用していたかにもよりますが・・・

とりあえず諸葛亮の北伐は夷陵で名だたる将が壊滅したので不可と。

461 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 17:59
>>460
この戦いで実際死んだのって誰?

462 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 23:39
だったら、この時(関羽との共闘)以外にチャンスはあったのか?
いや、これが最大にして最後のチャンスであっただろう。
関羽は徐晃に敗北させられたとは言え、一時的な後退であり、
まだまだ、押し返せる余裕はあった。
何故なら関羽に敗れた于禁は当時の魏の外様武将の中で
一番曹操に信用された先鋒武将だったから。
やはり、于禁と廠徳を失ったのは魏にとって大きな痛手だったのである。
この勢いを利用して呉が共闘していればチャンスはあったかもしれない。
これを最大のチャンスでないとするなら、他にいつチャンスがあったというのか?

463 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 23:49
>>458
目先の利益・・・ではないだろうな。
長期的に呉の領地を防衛するためには必須の地で、江東に勢力を広げて以来ずっと狙ってた。
それに別に呉としては蜀と無理に共闘する必要もないし。

>>462
どうでもいいがあの時の関羽に余力なんてないぞ。
攻めきれないというよりも、負けて逃げもどろうとして戻る家がなかったって感じ。

464 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:07
>長期的に呉の領地を防衛するためには必須の地で、
防衛の為に必須なワケではない。そもそも周ユが一度獲得した地であり、
劉備に貸し与えたという遺恨があったのが奪還の主な理由のひとつだ。
>それに別に呉としては蜀と無理に共闘する必要もないし。
いや、呉は表向き魏に服従の態度をとったりした事もあったが、
仮想敵国として常に魏を意識していた。蜀との同盟は重要であった。
必要ないワケがないのである。
>どうでもいいがあの時の関羽に余力なんてないぞ。
それは呉が背後(江陵)を固めていたから。
仮に呉が共闘してなら背後の心配はないハズである。

465 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:13
>464
えらい内容が薄いな

466 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:14
要は、呉にとってのチャンス、蜀にとってのチャンスはなにか?ということだな。
ケイ州を領有している蜀にとっては、呉と結び魏を倒すことが国家方針。
呉にとっても、もちろん最終目的は天下統一だろうが、あの時点の呉の欲しい地は
もちろんケイ州、もしくは長江北岸も拠点、つまり合肥。
張遼の合肥は難攻不落。なら魏と結びケイ州、という発想は当然ともいえる。
強調しときたいのは、呉の目的は魏を倒すことはでなく、天下統一。
孫権にその意思があったか?というツッコミがきそうだが、ケイ州が単純に国力増強としても、
因縁の土地としても、天下統一への足がかりとしても、重要な土地であることは間違いないだろう。

467 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:16
>>465
反論したいなら論理的に頼む。
それじゃただの煽りだぞ。

468 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:19
>>466
呉が本気で天下統一する気があったかは怪しくないか?
必ずしも呉政権の主要構成員である南方系の豪族の利益にならないだろう。

469 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:23
>>464
呉にとって蜀との同盟は重要。と言いながら
荊州奪還の理由を「遺憾」だけとするのは矛盾してないか?
あと呉が関羽の邪魔をしてたともとれる書き方だ。

470 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:23
>>466
その時点で荊州を選んでしまった事が悔やまれるのだよ。
関羽とは表向き共闘しておいしい所で背後をかっさらえば良かったと考える。
確かに荊州は重要ではあるが、もう少し関羽に与えたまま泳がしておけば
漁夫の利を得られたかもしれない、それをチャンスだったと言ってるのだ。
もちろん、それさえもチャンスだと認めてもらえないのなら、
最初から呉と蜀には未来などなかったという事になるな。

471 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:27
>荊州奪還の理由を「遺憾」だけとするのは矛盾してないか?
「主な理由のひとつ」だと書いたまでだ。
呉からすれば荊州奪還は正統な理由だから。
いりょうの戦いの後も、すぐに和平に応じてるではないか。
>あと呉が関羽の邪魔をしてたともとれる書き方だ。
そうだ。

472 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:27
>>468
孫権個人はどーか知らんが、それは同感。
これは蜀や魏のような、国家の存在意義がないことのマイナスの面といいていいのかな。
ただ、孫氏の支配力が増してきた、孫権の晩年あたりからちょくちょく遠征してるとこ見ると、
その意図はあったんとちゃうかな?

473 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:37
>>470
なるほどな。
じゃあどういったケースか例を挙げてみてくれよ。
単純に漁夫の利じゃ分からんのでな。
俺的には、呉はあれで絶妙だったんじゃないかと思ってるけど。

>>最初から呉と蜀には未来などなかったという事になるな。

これは少々言いすぎでないか?

474 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 00:55
>>473
漁夫の利はなんと言っても(仮に)勝ち得た魏の領土(北荊州)と(南)荊州だよ。
呂蒙の作戦の様に関羽の不満分子達と住民を裏で押さえておけばいい。
細かい戦略面はifなので難しいな。周ユ(&劉備)が獲った合肥、南群作戦を
北上する様になれば面白いとおもうが。

475 :465:01/10/22 01:06
>>467
ああ、すまん
戦略的な事を書いてる内容に単なる遺恨ですましたり、
魏が仮想敵国なのかは当たり前で、蜀との同盟がなぜ重要なのかが書いてなかったり、
関羽自身に押し返せる余力がないっていう反論に、呉が固めていたからってとんちんかんな事かいてたりと、
全然中身がなかったから、つい

476 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:09
>>472
晩年どころか、孫権の即位前後からひっきりなしに魏に侵攻している。
蜀なんか比べ物にならないほど。

477 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:13
>>475
悪いが、君も中身のない反論になってると思うよ。
何故なら君の反論も何故そうなるのかという根拠がないから。

478 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:13
>>476
それは建業の直ぐ北まで魏領だしな。
どっちかと言うと、その後は南方の山間部へ進出してる。

479 :475:01/10/22 01:17
>>477
反論じゃなくて、感想書いただけだから(スレの無駄だったけど)

480 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:17
>戦略的な事を書いてる内容に単なる遺恨ですましたり、
これは前に書いたが理由の一つと書いたはず。
>魏が仮想敵国なのかは当たり前で、蜀との同盟がなぜ重要なのかが書いてなかったり、
これは書かなくてもわかると思うが。呉と蜀は共闘なしで魏と渡り合えない。
>関羽自身に押し返せる余力がないっていう反論に、呉が固めていたからってとんちんかんな事かいてたりと、
固めていたは変だったな。すでに占領していたから、だな。

481 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:19
>>479
ただの煽りか・・

482 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:23
>>481
どっちかというと480の強引な理論の方がアレだろ
矛盾点ほったらかしだし

483 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:26
>>482
じゃ、ちゃんとどこが強引なのか根拠を書こうよ。

484 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:28
結論
両方煽り厨房

485 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:29
呉には天下統一の意思がなかったと思う(孫権・周瑜以外)

486 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:30
魯粛はあったのでは。

487 :482:01/10/22 01:30
>>483
矛盾点ほったらかしだし

488 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:31
じゃ、もう一回その矛盾点書いてみなよ。

489 :482:01/10/22 01:33
>>488
いやだ。

490 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:33



一行レスで煽ってる奴は厨房。以後放置。

491 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:41
>>480
こいつって、こんなに言われてるのに自分で気づかないのか?

>>戦略的な事を書いてる内容に単なる遺恨ですましたり、
>これは前に書いたが理由の一つと書いたはず。
主な理由ってかいてるぞ。しかも防御地点としてはなくても構わないらしいし。
同盟を重視しようとしてるのに破棄するのが遺憾からとかって矛盾もしてるし。

>>魏が仮想敵国なのかは当たり前で、蜀との同盟がなぜ重要なのかが書いてなかったり、
>これは書かなくてもわかると思うが。呉と蜀は共闘なしで魏と渡り合えない。
だから、呉と蜀が共闘なしでは魏と渡り合えない理由を書けって。

>>関羽自身に押し返せる余力がないっていう反論に、呉が固めていたからってとんちんかんな事かいてたりと、
>固めていたは変だったな。すでに占領していたから、だな。
ちがう。呉は関係ない。呉が裏切ってなくても関羽にはそんな余力がないって前のは書いてある。

492 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:44
>>491
熱くなってるな。。。相手は三国志初心者なんだからむきにならなくていいな

493 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:51
なんか感情的になってるな。それで煽りしてるのか?

>主な理由ってかいてるぞ。しかも防御地点としてはなくても構わないらしいし。
>同盟を重視しようとしてるのに破棄するのが遺憾からとかって矛盾もしてるし。
主な理由のひとつって書いたんだよ。防御地点としてはなくても構わない、などと書いてない。
あと、同盟破棄する為に関羽を攻めたのか?君の方が矛盾してないか。
それに呉が荊州奪還に傾いたのは魯粛が死んだからで、呉の首脳陣の間でも矛盾はあったのだ。

>だから、呉と蜀が共闘なしでは魏と渡り合えない理由を書けって。
国力の差があるから。呉と蜀を合わせても魏の国力には勝てない。
弱小国家同士、打倒魏を掲げているのだから共闘は当然の事だ。

>ちがう。呉は関係ない。呉が裏切ってなくても関羽にはそんな余力がないって前のは書いてある。
その根拠はなんだ?呉が裏切ってなければ関羽は戦力の回復に専念できたぞ。
本拠地さえ落とされなければ復帰できた可能性は多いにあったよ。

494 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:54
防衛の為に必須なワケではないって書いてあるよ

495 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:55
でも、なくても構わないとは書いてないが?

496 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:57
同じだ同じ

497 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 01:59
違うだろ。

498 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 02:01
北伐の話から逸脱しすぎだぞ

499 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 02:07
普通は「必須なワケではない=必ずしも必要ではない=なくても構わない」って考えるなぁ
って、どうでもいいのでsage

500 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 02:10
「必須なワケではない」と「なくても構わない」

これじゃ、全然意味が違うぞ。

501 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 03:14
無理矢理ですが北伐に戻します。
何かと五月蠅い魏延を上庸から荊州方面に遊撃隊として派遣するのはどう?

502 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 05:22
>>501

え〜、長安じゃなく荊州方面ですか?
それこそ呉の協力なくしてあり得ない作戦ですね。

503 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/22 06:52
1次北伐なら荊州方面は孟達がいたね。
やはり荊州での陽動は必須なのではなかろうか?
関羽の例から許都の近くに軍勢があるというのは効果大だしな。

504 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 01:33
一番重要なのは補給線じゃないのかな。
良いルートない?

505 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 08:43
長江を利用しての荊州ルート。
船で大量の物資を輸送でき、呉との連携が取れる。
ただ、荊州は平地なので擬の大軍が一斉に押し寄せるし、
益州から荊州に出る分にはいいが、撤退する時は大変。
そんなこんなで、漢中から長安を目指したんでしょ。
あとは劉封に習ってか。

506 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 08:47
関羽は一国まかせるのにはキツイ気がする。
だれか参謀がいないと

507 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 09:14
>506
伊籍あたりがいいのでは。

508 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 09:22
馬良はなにしてたの?

509 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 10:04
>>508
囲碁打ってました・・・

510 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 10:09
つーか、ケイシュウ、カンチュウからの両面作戦こそが、諸葛量の当初の構想だったのでは?

511 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 10:19
>>510
孔明はそうしたかったというか、絶対条件だったのに、
関羽の馬鹿のせいで領土的に、劉備の阿呆のせいで人材的に、
両面作戦が無理になってしまったので仕方なく勝ち目の薄い北伐を断行したのだろ。

512 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 11:10
敗因は致命的な人材の薄さ

513 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 12:56
あの状況(巴蜀のみ領有)での北伐の必須条件は
元馬騰の領土である西涼を抑えることじゃないかな?
できるだけ、戦線を拡大させない様にしないと、人材・物資ともに
足りなくなりますから。
諸葛亮も、それを狙って街亭へ進出したのでは?
街亭を死守し、西涼を安定していたら、魏延策の長安攻めを実行したかも。

514 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 16:12
なんか、蜀がただでさえ大変なんだからせめて呉が
満寵潰してくれないと・・・

515 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 16:31
やっぱ関羽は猪武者かね

516 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 16:50
>>515
巴蜀・漢中攻略の軍編成に加われず、ただ荊州の守備を任されただけで
次々軍功をあげていく新参者(黄忠・魏延など)に
苛立ちを覚えたんじゃないの?>関羽

517 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 18:52
>>516
案外厄介払いされたんだったりして・・・

518 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 20:19
>>513
長安奪取なくして西涼侵攻はありえない。
せいぜい魏延がやった行って帰っておちょくるが限度。

519 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 20:22
>>518
涼州は馬超の後も反乱が絶えない。
一撃喰らわせば河西四郡あたりは簡単にひっくり返ったと思う。

520 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 20:29
>>518
そういう意味じゃなくて、雍州を押さえないと西涼を落としても維持できないって事。

521 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 20:35
漢の正統を名乗る以上、北伐は、ヨーロッパで言うところの神聖ローマ帝国のイタリア統一政策のようなもの、ことの成否にかかわらず取り組まなければならない代物。

522 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 20:38
>>520
軻比能と連合して渭水を攻め下れば意外になんとかなりそうな気がする。
妄想だけどね。

523 :厨房:01/10/23 21:24
>>522
魏延すら信用してない諸葛亮が匈奴なんて信用するの?

524 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 21:28
>523
無理でしょう

525 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 21:28
諸葛亮は穴のあなが小さい

526 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 21:41
尿道?

527 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 21:53
>>523
匈奴じゃないよ。鮮卑だよ。

528 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 21:54
>>522 てゆーか、それ、やったし!

529 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 21:54
配下に忠誠心の厚い呂布がいれば余裕

530 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 23:20
はぁ〜バカばっかだな。
この板じゃ、マトモに正史の話もできやしねぇよ。
北伐なんて無駄無駄。

531 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 23:30
そうだな、表層だけ見てればそう思えるだろうね

532 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/24 00:11
北伐なんて無駄無駄=マトモな正史の話
だって(^▽^)煽り丸出し

533 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/24 00:58
このスレって、煽りがよく来るね
どうなってんの?

534 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/24 07:12
>522
安易に異民族との協力をというのはかなり危険な発想。
三国を統一した晋はそれで滅んで、
以降、漢民族はしばらく華南に引き篭もる羽目になった。

535 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/24 12:18
異民族と協力するよか、馬騰の血縁(馬超・馬岱)を
西涼に派遣すれば、事足りるでしょう。
平定したら馬岱を西涼大守にすえて(もちろん内政面のため軍師一人つける)
西涼攻略軍で渭水方面に進出。
魏延は、彼の方策通り子午谷を抜けて長安へ。
こんな感じじゃだめ?

536 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/24 15:30
>>535
病気のホウ徳や自分の妻子を見捨てて逃亡したらしい(そのとき
妻子は殺されている)馬超に西涼をまとめる力なんかあるの?
あいつ馬騰が曹操のところにいるとき叛乱起こしてるし、頼りになる
韓遂とは仲たがいするし、馬岱は正史にたいした記述ないし(確か
そうだよね?)

537 :無名武将@お腹せっぷく:01/10/24 16:09
馬超は呂布より頭悪そうだ、、、、
まあ呂布には陳宮いるけど

538 :毒蝮:01/11/04 12:17
部下に恵まれていないんだな・・・これが!!

539 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 15:39
部下にだって選ぶ権利がある。

540 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 12:37
夷陵で人材がいなくなりすぎたな〜
元気なうちに五丈原出て屯田制実行しつつ対峙してれば
勝機は見えたような気がするんだが・・・

541 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 13:17
>540
無理です、数が違いすぎ。
さらに総司令官が諸葛亮では…

542 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/14 15:22
age

543 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/14 15:37
>>537
禿同。馬超にも優秀な参謀が欲しかった。
が、当時最悪の「不忠者」とレッテルを貼られた馬超。異民族はともかく
漢民族がしたがったかどうか・・・。

544 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 12:47
西・涼のヴァカ共に参謀を望むことに無理がある。

545 :無名武将@お腹せっぷく :01/11/17 13:24
北伐しなかったら蜀は滅亡を免れたと思います?200年代終盤までぐらい。
俺はそうは思えないんだけど。

546 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 13:34
北伐の意義は、蜀の弱い防衛力を補うためだった。
そのためには魏を攻撃をするしかなかった。
つまり、「攻撃は最大の防御」と言うわけです。
孔明だからこそそれが可能だったわけです。
だから孔明が死んだ後は・・・

547 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 13:51
>>546
局所戦闘ならともかく大局を見た戦略の時点で
そんなことが通用するはずが無い。
孔明は年齢的限界を考えて功を焦ったとしか思えない。

548 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 15:00
>>546
蜀なんか無視された状態だったのに、わざわざ攻めて相手の意識を向けるなんて事はしない。
まだ「存在意義を示す」ならわからんでもないが(これもどうかと思うが)。

549 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 15:23
勝ち目も何も最初から勝つ気がなかったんですヨ
孔明と仲達でお互いの損得合致で折角八百長を仕組んだのに
馬謖がそのことを知らずに余計なことをして蜀側に被害を
大きくしてしまった為に、一時危うくなりました。
孔明と仲達の八百長は、「空城の計」で証明されましたネ。
孔明は仲達に負い目を感じ、泣く泣く馬謖を処刑したわけです。
仲達も「孔明を破った」という事実だけが残るとまずいので
わざと、「死せる孔明」に走らされたわけですネ。

550 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 15:43
戦争に絶対勝てない、あるいは絶対に負けないなんてことが
あると思ってるの?
三国志を最初から読み直してみれば?

551 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 15:47
>>549
\(^▽^)/馬鹿ネタみ〜けっ

552 :協力しよう!:01/11/17 16:39
皆様からの情報お待ちしております。
世間を震撼させた事件の犯人、クソガキ達を実名&顔写真
入りで公開しております。
http://topia.yam.com/home/aoiryuyu/pages/index.html

553 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 16:50
孔明もすでに歳をとっていて、先が短いことを悟っていただろうから、今しかないって思ったんじゃないかな。
でも、他に代わりに北伐をまともにやってのけそうな武将(後継者)が見当たらなかったってこともあったのかな?

554 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 16:55
少なくとも、長安落としたぐらいで勝てるほど魏は甘くない。

555 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 16:58
↑魏を過大評価しすぎ

556 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 17:01
それ以前に長安落とす実力が蜀に無いか…
落としても守れないしなあ…

557 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 18:38
関羽が生きてたら・・・・・

558 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 18:44
>557
むしろ法正・馬良

559 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 19:05
法正はともかく馬良はどうだろう?
もともと人材の層が薄い蜀なのに、誰が生きてればってことはないと思うが。
あえて言うなら、鳳統かな。

560 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 19:21
誰々が生きていたら?
という疑問が出る時点で駄目だよな…

561 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 19:54
郭嘉が生きていたら…(W

562 :切腹もの:01/11/17 21:07
>>455
それだったら周ユの死も痛かったんじゃないかな?
孫権の精神的にもね。

563 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 21:13
劉禅が聡明だったら・・・

564 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 22:28
どなたか詳しい方、教えてほしいんだが、
荊州が維持できていたら魏に勝てる見込みはあったの?
どうも天下三分の計って終着点が最初からなかったような
気がするんだけど。

あと魏延の策を取り入れて長安攻略が成功したら蜀は魏延の
ものになってしまったような気がするんだがどうかな?

565 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 22:35
>564
長安手に入れても魏軍の反撃から守れないと聞いたことがあります。
荊州は呉が勝ってくれないとどうにもならないかと…
でも満寵とかいるしなあ…

566 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 22:50
>>564
天下三分の計とは天下統一へ向けた戦略案のことです。
劉備の立場に立って、荊州を保持しつつ益州を取る。
そして呉と結び魏と戦うといった内容のものです。

魏に勝てる見込みがあったかどうかは、意見が割れるとこでしょうが、
私自身としては不可能だったのでは、と思ってます。
仮に荊州を維持していたとしても、あれだけ国力、人材、兵力に差があったのでは
如何ともし難かったのではないでしょうか?
また荊州を維持できるだけの、力が蜀にはなかったというとらえかたもできます。
これは益州を取ったことが単純にプラスに働いていない、ということではないでしょう。

蜀が魏延??長安の間違いでしょうか?

567 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 22:52
失礼。

これは益州を取ったことが単純にプラスに働いていない、ということではないでしょう
   ↓
これは益州を取ったことが単純にプラスに働いていない、ということでしょう。

568 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 22:55
>>564
確かに三分の計は見通しは最初から悪かったと思うな。
荊州そんな重要ならもっと将を多くを駐在させとけって
話じゃない?関羽と関平だけじゃ魏と呉を同時に相手
にするのきついでしょ。益州よりはるかに戦線が広いのに
二人だけじゃむりでしょ。

569 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 23:01
>>566
564です。回答サンクスです。
いいたかったのは魏延が長安を制圧したら
蜀内での発言力が諸葛亮以上に増して
手がつけられなくなってしまうのでは
ということです。
例えば、趙雲などの提案だったら諸葛亮も
受け入れていたのではと勝手に思ってる次第です。

570 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 23:12
過去レス読んでると同じような質問がいっぱい。
とりあえず「教えてクン」は記事全部読んでから聞け

571 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 23:20
なるほどね。
ただ、長安を維持するにはさらに東のドウ関を取らないといけません。
魏延の言う奇襲戦法では長安を占領したとしても、維持できず、かつ補給もままならない。
非常にリスクが高い作戦だったといえるでしょう。

孔明が魏延を嫌っていたのは事実っぽいけど、
その作戦自体が、慎重派の孔明にとって受け入れがたいものだったのでは。
誰が提案しても却下されてたと思いますよ。

本来の質問ですが、それはなんともいえませんね・・・。
いろんなエピソードを見ても、魏延が覇気に富んだ人物だったのは間違いないですけど。
その辺は蜀の内部事情によりけりなんで、ちょっと分かりかねます。
ただ、劉備に後事を託されとあって、孔明の存在感は絶大だったと思いますよ。
それだけでのっとられることはないでしょうけど、
軍事面での発言権が大きくなることは、想像できますね。

572 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/18 01:06
今のアフガンとか見てると、結構参考になると思うけど、
(実際は文化によって異なるが)
地元の有力勢力ってのの影響は大きく、
勢いや戦況によって、他勢力に一気に流れたりするよ。

だから、一見強固に見えても、
ダムのように決壊させることは可能。

まぁ、確率はともかくね、、、

573 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/18 15:20
>>549
陳舜臣の秘本三国志のストーリーにちょっと近いんじゃないの

574 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/19 23:20
魏の立場になって考えて見ようよ。
魏としては蜀の誰を危険人物として見ていたのだろう?
魏延?孔明?生きていたら法正も?

575 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/19 23:21
あげ

576 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/20 12:54
>>549の説って案外いいとこ付いてる気がするんだよね。今中国の学者の間で
何時でもつぶせることが可能だった仲達がなぜ積極的に攻めなかったかという
議題で実は彼は自分の子が然るべき歳になるまでわざと待っていたっていう
話も出てるくらいだからね。これは結果論で議論してたんだが仲達ならそれを
見通す能力があったし陳瞬臣なんかも中国人の心理上ありえるって言ってるしな
一概に馬鹿にするのもどうかと

577 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/20 15:44
>576
獲物を狩り尽くした猟犬の論理とか?

578 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/20 17:04
>>574
魏が蜀という国自体を恐れていたとは思えない。
それを考えれば、チマチマ涼州から領土を削ろうとする孔明は
うっとおしくはあるが、それほど怖い存在ではないのでは。

じゃあ魏延か、となるがどうだろう?
孔明が指揮してる間は魏延の力を往かせきれないのは間違いないと思う。
逆に魏延が司令官として北伐するとする。
孔明が指揮をとらない以上、魏延にとって北伐は北伐なので総力戦で挑むのではないか?
魏にとって孔明と比べれば魏延のほうが怖さがあるのだと思う。
だが、如何せん人材の層、兵力に差がありすぎる。
そのリスクの高さが、孔明が指揮をとった理由だろう。

579 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/20 17:21
俺個人として、魏にとって一番嫌な存在は劉備だと思う。

@漢王朝の正統な後継者と称している。
あくまで自称なのだが、これは大きいと考える。
衰退を重ね、ついにこの時代に滅亡に至った漢王朝だが
当時まだ、その影響力は多大だったである。
魏の簒奪という形に我慢できずジュンイクが殺されたことや、
度々内乱があったことを考えれば、劉備の存在が危険だったことは容易に想像できる。

Aその名声
若い頃から各地を転戦し漢中王まで上り詰めた劉備。
当時の人物評価においては、名声は重要なファクターだった。
曹操には及ばないとしても、それに次ぐ名声を持っていたのではないか。

劉備自体戦争がそれほど上手いとは思えないし、
曹操のような戦略眼を持ってるわけではない。
それでも、その存在自体が当時の中国において非常に大きな事実だったのではないか?

と俺は思うね。

580 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/20 17:22
脱字誤字多いね・・・。スマソ

581 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/20 22:48
>>549
おれと同じ考えのヤツいたんだネ

582 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 14:25
で、勝ち目はあったの?

583 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 14:37
なかったってことで。

584 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 18:10
.>>577わいいんこうでんですな

585 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 18:26
蒋エンの漢水を下って魏を攻める北伐計画の方が勝ち目がありそう
呉との連携プレーもできそうだし
孔明はなぜあれほどまでに北のルートにこだわったのだろう?

586 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 19:28
>>585
その逆だろ。呉は蜀が荊州方面に兵を動かすことには相当神経を尖らしていた。
宗預伝にも蜀が永安、呉が巴丘の守備兵を増員したことが外交問題に発展したことが書かれている。
漢水を下って魏を攻めればかえって呉の猜疑を招いて、関羽・夷陵の再現となりかねない。
諸葛亮は生涯をとおして親呉を貫いているので漢水方面からの侵攻をしなかったのは不思議じゃない。

587 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 22:23
確かに。あそこで呉がきたら終わりだな。それに仲達ががんばって、相手の挑発にめげずに
長期戦にもちこんだのも、孔明にとっては歯がゆかっただろうな。(話展開させすぎたか?)

588 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 23:22
まじめな話し、五丈原の蜀軍司馬懿はいつでも潰せたって本当?

589 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 23:26
↑蜀軍は司馬懿を倒せたという事か?
いまいち分からん

590 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 23:31
>>588
いくら何でもそこまでは無理。

591 :588:01/11/21 23:50
ごめん、司馬懿はいつでも持久策を捨てて速攻で
蜀軍撃破できたかってことです。

592 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 00:12
>>591
それも無理。

593 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 00:50
司馬懿孔明で持久戦。これ常識。

594 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 23:30
俺は天才だ

595 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 01:26
蜀カーは毎回敗れるのが、お約束

596 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 02:13
え?孔明って本気で魏を討つ気なかったんでしょ?

597 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 07:10
諸葛亮は北伐に関しては蒋介石見習うべきだったね

598 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 13:00
仲達はそんなに戦争が得意じゃなかったと思う。
だから攻めなかった。
孔明の方が実戦での指揮は、仲達より長けていたと思うし。。
あと仲達は蜀の人材不足、兵力の少なさ、孔明の高齢で今攻めなくても
時期が来ると見通していた。
だから守りに徹して、兵力を維持。
下手に兵を動かすと、孔明の用兵戦術でやられてしまうから。。

話し変わるけど、趙雲は劉禅を助ける必要はなかったと・・・
赤ん坊のときに馬から落としておけば・・・

599 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 13:09
>>598
どうかな。劉禅でなければ孔明ごときに
あれほどの大権を与えたとは思えないが。

劉封なんかが世継ぎになっていたならば、
孔明は本多正信並の待遇で生涯を終えたのではないか?

600 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 23:38
教科書通りの先頭しかできない政治家に軍件与えた
劉禅の失策。

601 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 23:45
↑費イが死ぬまで劉禅には政治の実権がなかった

無論諸葛を任命したり解任したりなんて出来るわけないだろ

602 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 00:00
>598
>仲達はそんなに戦争が得意じゃなかったと思う。
>だから攻めなかった。
>孔明の方が実戦での指揮は、仲達より長けていたと思うし。。
これは、完全に逆だろ。

603 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 01:03
北伐時でまっとうに仲達が孔明にぶつかった時はかなり痛い目にあっている。
孔明は野戦等の正攻法ではかなり戦績いいよ。(特に迎撃戦)

604 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 22:23
>603
それって演技?正史?
少なくとも迎撃戦て時点でだめジャン…

605 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 22:29
孔明が逝った後も滅ぼすのに30年かかった
⇒孔明あんま意味ない?

606 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 22:38
質問ですが、正史の諸葛亮と司馬懿の対戦成績教えてください。

607 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/01 09:50
>>604
一応正史。
漢晋春秋までまぜるともっとすごいが、こっちはどうも信憑性が微妙。。。
迎撃戦ってのはあくまで戦術の中での迎撃と思ってくれれば。
たとえば、撤退中に追撃してきた敵を迎え撃つとか。

608 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 00:29
迎撃を繰り返しても先に進まなければ意味がない
先に進んでも補給が追いつかなくては意味がない
補給が追いついても究極の目的「漢王朝復興」が不可能であれば
北伐の意義自体がない

609 :過去レス見ずにレス:01/12/04 01:43
孔明はもっと補給線、というより屯田に力を入れとくべきだった。

610 :じゃあ俺も:01/12/04 10:14
>>609
屯田って曹操が発案なんだってね。
ちと感動したよ

611 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 10:45
>>609
俺も自宅のベランダで屯田してるよ

612 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 13:00
>610
ちがう。もとはエン紹だよ。

613 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 13:10
しかし、五丈原近辺の土壌は耕作に適さないと何かの記事で読んだことあ
るんだが?
これについて何か知ってる人いませんか?

614 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 16:09
オレてっきり蒋介石の北伐かと思った(ワラ

615 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 19:08
オレてっきり呉王夫差の北伐かと思った(ワラ

616 :age:01/12/07 23:45
布佐の北伐って?
誰と戦ったの?

617 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 07:54
age

618 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 12:33
もしも北伐が成功してたら魏は滅亡してたのか?

619 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 14:57
みんなわかってないよ! 孔明がそんな無茶するわけないだろ。ちゃんと考えて北伐しているよ。角度とか。

620 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 15:04
>613
でも、あの辺りにも農民はいた訳だし。
つまり、土が違えば作物も変ってくるという事だ。
屯田するなら、何がその土地に適した作物かも調べとかんと。

621 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 17:22
孔明は曹真に対しては連敗した。もし曹真率いる遠征軍が長雨で立ち往生し、
撤退に追い込まれなかったら蜀は滅亡していたかもしれない。

622 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 17:43
>>616

呉王夫差の北伐は、斉の国に侵攻した夫差の無茶な戦争だよ。

>>618

しないってば(笑)
中華の半分は魏だったんだから。

>>619

ワラタ

623 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 18:39
>622
でも長安まで迫れば、当然、呉も動いただろうし。
流石に、二方面作戦は魏も辛いんじゃないかな。
滅亡まではいかなくても、川の北側への遷都くらいはするんじゃない?

624 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 19:50
>>622
史上、中華全土を制していた王朝が何度も滅びますが何か?

625 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 23:37
>>624

スルドイ指摘、ありがとう。
こういうツッコミはありがたいよね、「さあ、話すぜ」って気になるよ。

一種、北伐とは少しずれるが…
歴史上、中国全土を支配していた王朝が滅んだ中で、
内部崩壊もしくは諸侯の独自な権力の増大を免れずに突然滅んだ例はない。
統率の取れた、圧倒的な国力を持った王朝が、小国の攻撃で沈んだ例が
あるんだったら教えてくれ。
頭を下げて「間違ってました」と言うよ。

夏商秦は王の浪費で滅び、周は諸侯の軍閥化で滅び、
隋唐宋…例を挙げるときりが無いが、
全ては、国力の疲弊した末期症状にて滅び去っている。

翻って、蜀の北伐はどうか?
蜀の北伐によって、魏がどれほどの被害を被り、被害補填の為にどれほどの
財政を費やすことになったのかも、ポイントだといえる。
北伐当時の魏では、司馬氏の権力増大は否めなかったものの、
基本的に諸侯は忠実で、叛旗を翻す者は、ほぼいなかったとされている。
財政も安定し、魏は着々と豊かな国家を築き上げていた。
つまり、国力は安定していた。

まぁ、後に司馬氏に壟断され、王朝は奪われてしまうけどね。
この辺は、先に挙げた「諸侯への過剰な権力配分」が祟ったということで…

>>623 の指摘はもっともだと思う。
遷都の可能性はあったかもしれない。
いや、したんじゃないかと思う。

北伐そのものを語るという前提で話を続けると、
蜀の国力と魏の国力、明らかに差があった。
呉はだんまりを決め込み、二国の国力疲弊を望んでいた。

それでもなお、蜀が北伐を続けたのは…
妄信的なファンの多い、諸葛亮のミスと、
漢の旗を掲げる建前上の問題からだと、俺は思う。

事実として、蜀は北伐による財政難が祟り、崩壊した。(それだけじゃないけどな)

上手くいっていたとしても、623の語る状況。
もし呉と手を結んでいたとしたら、勝負は五分。
よって、俺は北伐そのものに勝ち目があったとは思えない。
もしかすると、魏を滅ぼすという目的意識とは違う、
別の何かによって、行われたものかもしれん。

アフォな俺にはそこまでの深慮を汲み取ることはできんがな。

626 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 00:29
そもそも、「天下三分の計」の路線を踏み外してるような。
自分が先に疲弊してどーするっ!と突っ込みたい。

627 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 00:42
魏が安定した国造りをしていたというのは同感だが、
だからこそ北伐の必要があったといえる。着々と地盤固めなんぞされたらそれこそジリ貧。

ただ魏は安定していたと言ってもそれは自国内に限ってのこと、
三国を一つの国家として考えれば、
魏は北に鮮卑の軻比能、遼東に公孫淵、巴蜀に漢、江南を呉。
これだけの敵対勢力(軍閥化した諸侯にも比せられるだろう)に囲まれた国家ってそうないだろう。
金がやや近いぐらい。
魏は建国間もないとはいえ、その版図は実質衰弱期にはいった王朝のそれと異ならない。

ちなみに北伐をしないとどうなるか。年表をみればすぐにわかる。
234年:諸葛亮死亡 235年:魏が軻比能を暗殺 236年:高句麗、呉と断交
237年:公孫淵討伐 238年:公孫淵滅亡
魏はじっくりと足場を固め、蜀と呉はそのぶん味方を失う。

628 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 00:49
>627
戦ってもジリ貧、というより、あれは殆ど賭けみたいなモンでしょうね。
ところで、魏の敵対勢力は各個撃破された訳ですよね。
もうちょっと、こう連携プレーが出来なかったのかなぁ、と。

629 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 01:17
蜀は北伐をしていないとそのまま滅びてしまう運命。
最後の孔明の北伐までにも色々な邪魔が入ったのはそれだけ孔明がやはり劉備無き蜀を引っ張ることができる器では無いと言うこと。
劉備無き後、孫権や曹操のようにあまり人材集めに萌えていなかったのも孔明に問題がある。

やはり勝つには
荊州の領有
優秀な人材(劉備の死も問題が大きい)
しっかりとした皇帝(国内)
呉とのしっかりとした友好
が無いとたとえ滅ばないにしても勝てないものだと思う。

630 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 01:25
>最後の孔明の北伐までにも色々な邪魔が入ったのはそれだけ孔明がやはり劉備無き蜀を引っ張ることができる器では無いと言うこと。

曹操の烏丸討伐や、孫権の赤壁の戦いの際も反対する者多数でしたが、何か?

631 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 01:26
>>627

まさにその通りだ。
だからこその北伐…と考えてもよいのかもしれないが、
論点は、「勝ち目があったのか?」という点だ。
ざっとこのレスを読んだ中、貴方の考察がもっとも理に適う。
どうだろう? 勝ち目はあったのだろうか?

632 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 01:28
全然詳しくないんだけどさ、諸葛亮の北伐って魏を倒すのを
目的にしたものじゃないと、聞いたんだけど。

633 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 02:02
私も>627は重要な点をついてると思う。

要するに魏を滅ぼすには魏の政情を不安定にすることは戦略的
必須条件だった。言い換えれば、政治が安定しなければ魏打倒
は十分(かどうかは謎だが)可能だった。

私の意見としては、魏の政情不安定に蜀がつけいるためには、
関中奪取が最低限必要だったと思う。巴蜀・漢中から出兵する
だけでは、当時の情報網から言っても鮮卑や遼東と連携すること
は不可能だろうし。関中を取ったとなれば中原に対する蜀の脅威
が増大することは確実で、そうなれば状況は一変した可能性も
あると思う。

じゃあその関中はとれたのか、ということになるとまた議論は
分かれるだろうけど。

634 :627:01/12/13 02:07
>>631
北伐単体では無理だと思う。
無理をすれば姜維のようになる。

635 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 02:12
>>632

一応、ストーリーとしては、軍権を剥奪された司馬仲達の隙を
ついて、長安を落とす事が目的だったという筋書きだが…
(第一次北伐)

魏を倒すというよりは、長安というポイントを確保する事が
メインだったのだろう。

なんせ長安には、曹叡がいる。

636 :627:01/12/13 02:13
あとは>633と同意見。

637 :635:01/12/13 02:17
失礼した。
曹叡は、当時、洛陽にいた。
長安は夏侯子林が太守だった。

スマソ。

638 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 02:36
司馬懿の隙を突いての北伐を試みた諸葛亮。
しかし、曹真の前に連戦連敗。
意味無いジャン!

639 :632:01/12/13 02:51
>>635
自分が聞いた(と、いうか読んだ)説は、

北伐の理由1
漢王室再興という大義名分でたてた国だから、
蜀の人々に「魏を倒すぞ」と勇ましく出て行く姿を度々見せなければなかった。

北伐の理由2
北辺の不安解消。魏が蜀を潰しにくるなら必ず北から来るので、
先に北辺を蜀で抑えて防衛しやすくしたかった。

よって長安を取るとか魏を潰すなんて事は全く考えてなかった。

ていうやつ。高島俊男さん(偉い人らしい)って人の本に書いてた。
知識ないからアフォみたいな文書だがスマンね。

640 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 04:02
>>639
その説の理由2をもうちょいつっこむと、
もともと魏を攻略するには二方面侵攻が必要不可欠であり、
その中心となる最重要拠点が荊州でした。
しかし、荊州は呉に奪われたために二方面侵攻策は崩壊してしまいました。
荊州奪回にも失敗し、呉と連携を取ろうにも呉は消極策。
為に、諸葛亮は荊州にかわる戦略ポイントを北に求めたというもの。
関羽の失敗は非常に大きかったことがわかります。

あくまで説の一つですがいい線ついてると思います。ちょっとはしょりましたが。
高島俊男なら「三国志きらめく群像」かな?読みやすくていいですよね。

641 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 07:37
司馬仲達が軍権を剥奪された?
それってエンギの話じゃないの?

それはともかく、蜀の北伐は戦術より戦略、戦略より政略の色合いが濃かったと思う。
「諸葛亮は臨機応変の軍略が得意ではなかった」とチンジュは評しているけど
あの圧倒的な力を持った魏に対して、どうすれば戦略的勝利を収めることができるのか?
(戦術的勝利は何度かしているが、魏がそれにこだわらなかったため
蜀軍は撤退を余儀なくされている)
魏が人材、戦略構想の両者が水準を下回っていれば、「臨機応変の軍略」を駆使する
隙も生じただろう。
でも、歴史が証明しているとおり、魏は蜀という国家を正確に視野に収めていた。
対蜀戦においての戦略、そしてその戦略を不足なく実行できる将帥。

個人的な意見になってしまうかもしれないけど、その状況下で勇戦した諸葛亮に対して
いささか酷な評価だと思う。
「臨機応変の軍略」を駆使し、味方に倍する兵力を撃滅できるのが有能な将帥の条件じゃない。
指揮系統を一本化し、自分の命令を隅々まで行き渡させることのできる管理能力
統率力を持った人間こそ、将帥に相応しいと思う。

歴史は、何を成そうとしたのではなく、何を成したのかで、その人の評価が決まる。
つまり、「政治のなんたるかを熟知した良才、しかし臨機応変の軍略家ではなかった」の歴史的評価は
それほど的外れなものではないのかもしれない。
それでも、俺は諸葛亮を評価したい。
失敗を、目的を達成できないことでその人間を評価するなら、全ての人間を不当におとしめることになる。
彼の失敗と、それによって叩きつけられた評価をひっくるめても、諸葛亮は偉大な人物だったと思う。

微妙にスレ違いになってしまった、スマソ。

642 :元SLGゲーマー:01/12/13 12:23
諸葛亮の北伐について。

俺は、これは機動防御の一種だったと考えている。言い換えるなら遅滞防御の一種。
諸葛亮がどういう人物だったかはこの際考えないとして、元ボードSLGゲーマーなりに考えてみると、
<状況>
・敵は圧倒的に経済的にも戦力的にも優位にある。
・友軍の本拠地は非常に防御優位な地勢にある。その前面に策源地は確保している(漢中のこと)
・戦線正面の敵地は人口寡少で緊要地が点在している。長駆侵攻すれば敵国心臓部を衝けなくもない。
・敵と友軍の側面に第三勢力があるが、信頼できる友好勢力ではない。

<状況と仮説>
・経済的、戦力的に敵を凌駕できるか→不可能。
・防御優位な地勢を生かせるか→策源地の放棄、国内戦への以降、国力疲弊に繋がり不可能。
・第三勢力の支援は期待できるか→友軍優位な状況でのみ期待できる。
<総括>
・防勢は取れない(国力低下、第三勢力の離反を招く)
・彼我の勢力バランスが変わるほどの勝利は困難(国力の圧倒的な差)
<結論>
・状況の変化(敵国内の不安定化等)を待つか、それが期待できないなら多少でも延命措置をとるしか無い。
→敵の攻勢を発起させてはならない。主導権は取り続けなければ防勢に陥る。
→国力低下を招かない程度の戦力で国外における断続的攻勢を掛け、主導権を確保し続ける。
※主導権を確保していれば、友軍の戦力以上の敵戦力を拘束できる。多くの敵の拘束は敵の打撃戦力を奪うことに等しく、攻勢を取る機会を奪うことになる。

つまり絶え間無く手を出し続けることで敵に攻撃の機会を与えない、という戦略だった、と。
国力及び侵攻ルート的に荊州を失った時点で蜀の命運は絶たれているので、北伐は生き残り策と言える。
漢中失陥後の蜀崩壊が早かったことを考えると、この戦略は誤りではないと考える。

643 :639:01/12/13 13:12
>>640
そうそう。その本です。個人的には凄い納得した説だったんですよね。

644 :ぎんじ:01/12/13 16:53
勝ち目?北伐で勝つとはどういうことですか?
魏を破る事? だとしたら孔明が本気でそれを狙ったのは第一次だけかな。

他には、「魏に被害を与える事」も考えられるが・・・。

645 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 18:38
スレの論点がよくわからないんだけど、

「孔明は本気で北伐する気だったのか?」

なのか、それとも孔明の思惑はひとまずおいて

「荊州失陥後の蜀が北伐によって魏を打倒できたか?」

なのかどっちなんでしょう?

646 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 21:49
この際どっちでもいいじゃん。派生した流れもまた良し。

647 :ぎんじ:01/12/15 16:12
第一次では、荊州方面からの、「望み」はあった。

648 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 16:21
>647
それは孟達が洛陽を衝くという意味?

649 :無名武将@お腹せっぷく :01/12/15 17:29
でも実現されず。

650 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 21:30
北伐はそれなりに勝算があったと思う。
諸葛亮の北伐で言うと最初のものが最も勝算があり、最後のものがそれに次ぐ。
しかし彼の北伐がこれほど成功しなかったのはひとえに彼自身の憶病さに由来
するように思う。当時の状況や個々の作戦を見るとそれぞれ勝ち目に差はある
が勝てないような作戦ではなかった。戦争とは畢竟博打である面を免れ得ない
と言うのに諸葛亮は戦争の博打である側面から目を背けた作戦運用を行い、結
果どの北伐も出ては撤退と言う北伐ピクニックに終始してしまった。
陳寿が諸葛亮について評したときに唯一得意ではなかったと言う点だ。
諸葛亮の作戦を劉備・曹操・周瑜らが実行に移していたら、恐らく北伐は成功
していたのではないかと思うことがある。

諸葛亮の北伐は国防の為の機動防御だと言う意見について、諸葛亮の北伐を惰
性で評価してるように思ったので書込んでみた。

651 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 22:37
>650
曹真が名将なので無理。

652 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 23:39
>>650
勝算があったとする根拠は?
機動防御で無いとする根拠は?
あなたの意見に反対するわけではないが、理由不足だと思うよ。

653 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 23:42
>>650
司馬懿も名将なので無理。

654 :650:01/12/16 00:27
>>652
勝算の根拠と言われても。過去東西の戦争で小が大に勝つのは常にあったことだし。確率は低いけど。
第一次に関しては長文校尉と言う人が楊儀スレやその前スレにあたる魏延スレで色々考察してるよ。

機動防御で無い根拠か。
機動防御だとしたら、長期の滞陣はやらないでしょ。
それくらいなら撤退して仕切り直しする。それじゃ駄目かな。

655 :650:01/12/16 00:32
>>651,653
同程度の将帥同士の対戦となると、敗戦する可能性は必ず出てくる。
だから司馬懿は決戦を避けた。彼らが名将でないとは思わないが、無理だと
いうのは頂けないよ

656 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 00:56
積極策をとっていれば個々の戦いで五分五分に持ち込めた
チャンスは結構あったかもしれない。

でも、魏と蜀ではその戦いに敗れたときの意味合いがまるで違う。
魏は次の戦いの準備をするだけだが、蜀はそのまま滅亡を意味する。

蜀が魏を破るにはこのような負けたときのリスクがまるで違う
戦いでの勝利を何回も重ねなくてはならない。

戦いの主体が劉備のような君主であればそのようなリスクも負える
かもしれないけど、雇われものの孔明には無理だろうね。
守るべきものがあるという立場になると無難な方針になるもんだ。

657 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 01:03
諸葛亮は侵攻ルートを曹真に予測されたりしてるしな・・・
ついでに魏は負けても次がある。

658 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 01:04
>>654
諸葛亮が曹真や司馬懿に対抗できるという根拠は?

659 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 01:33
>657
でもねぇ、陳倉ルートって関中から長安へ至る最もメジャーな
ルートでしょ? 400年前に韓信が使ったんだから。
魏からすれば、そこを重点的に固めるのは当たり前なんじゃない?
曹真はあたりまえのことをやっただけにすぎないと思うよ。

660 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 01:49
失礼。
関中>漢中

661 :650:01/12/16 02:22
>>658
うーん。その「質問→こっちが答える」ってのはー、すげく疲れる。
そっちは質問だけしてればいいもの。

興味があったら自分で調べて貰えたらいいな、位の 単なる問題提起と捉えてくれれば。

>>659
同意。
曹真は予想してたとは言え、派遣されたカクショウには千人程度の兵しかいなかった。
予想と言っても将来のことを考えた予想であってその時の諸葛亮の行動につい
ては驚いたのが本当のところじゃなかろうか。そこらへんも確か楊儀スレで長
文校尉さんが語ってたような気がする。
あと何故陳倉なのかについては、当時の三輔の兵糧集積拠点の中で一番防御が
薄かったのではないかと愚考している。

662 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 02:28
>661
結果論として[赤β]昭は守りきっていなかったか?
どちらにせよ、魏が備えをちゃんとしてれば北伐は
防ぐことが可能なのだが。

所で、北伐を上回る規模の呉の合肥侵攻はどう考える?

663 :662:01/12/16 02:29
それから、当時の史書は兵力を実際の数倍の数を記載している。
だから1000人という兵力が必ずしも少ないかどうかは疑問だよ。

664 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 03:34
>658
少なくとも司馬懿や曹真は孔明より下だと思うよ。
孔明が北伐という軍事面で成功しなかったのは事実。
でも、逆に考えれば司馬懿や曹真は圧倒的勢力でありながら
呉はおろか弱小蜀も滅ぼせなかったばかりか、蜀に攻勢さえ
許してしまっている。
それは孔明が蜀呉同盟を成立させたからでしょ?

孔明は卓絶した戦術家ではなかったかもしれない。
でも司馬懿や曹真が蜀の丞相だったら呉との同盟による魏の
戦力分断作戦はとれたの? 蜀と呉の同盟あってこそ両国が
存続しえたというのは晋代に立証済みでしょ。

軍事面での孔明の能力を否定する人が多いけど、蜀呉同盟の
重要性を考えれば、孔明が当代随一の戦略家であったことは
疑いようがないと思うんだけど。

665 :650:01/12/16 03:37
>>662
いや。自分で結果論と言ってますがな。

>備えをちゃんとしてれば
戦争は水ものなので、いくら備えても破れる可能性を低くすることは
できても北伐を完全に防ぐことは出来ないと思う。
おそらく戦争とその勝敗に関する部分の前提が居りあってないので
これいじょうは話は進まないかと。

呉が統一出来た可能性はあったと思うが残念なことに漏れはその辺を
系統立てて読んでみたことは無いのでちゃんとしたことは言えない。
呉の国主が孫権でなければ魏呉蜀いずれが統一するにしろもっと早く
決着はついたように思う。

>>663
は言いたいことが分からない。
蜀兵の数が少なかったのでは?と言いたいのだとしたら
蜀は国が小さいので恩賞など大盤振る舞い出来ないと思われる。
だから戦果報告は魏の大雑把さと慣例上の大仰な数字に比べて信頼出来そうだが?
また敗戦の記録で相手を千人としている時に自軍を大軍として記述したら
逆に諸葛亮(蜀軍)の沽券に関わるだろうからそれは無いのでは?

666 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 04:15
>>664
偉大な戦略家が、必ずしも有能な戦術家であるわけではない。
孔明が当代の名戦略家だと俺も思うが、君は事実を逆にとってる。

司馬懿や曹真といった対蜀方面の司令官は、蜀という国家の『体力』を正確にはかっていた。
彼らが無理をして侵略してきているのを知っていた。
戦術的な勝利で、戦略的条件を覆すことはほぼ不可能である。
およそ、国家というものは、外敵の侵入で滅ぶことはない。
内部から崩壊していくものだ。
それが外敵の侵略で倒れたように見えるのは、戦争というものが人々の目に『派手』に:映るから。
蜀と呉も、内部が腐敗しつくしたあと、魏・晋の侵攻によって滅亡した。
蜀と呉、二国が力を合わせても魏には及ばなかった。
同盟をしていても、二国の連携プレイは完璧というにはほど遠かった。
魏にすれば、彼らが息を切らすのを待てばよかった。
無理に戦術的勝利を掴む必要は、どこにもなかったんだよ。

667 :650:01/12/16 04:31
それだと結果として雨で潰れたけど曹真の征蜀作戦を説明できないよね。
つまらない突っ込みだけど。ちょっと突っ込んで見たかったので。

668 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 05:54
>>659
> でもねぇ、陳倉ルートって関中から長安へ至る最もメジャーな
> ルートでしょ? 400年前に韓信が使ったんだから。

漢中から関中への一番メジャーなルートは子午道だよ。
始皇帝が幹線道路として整備させたので唯一車両が桟道上で
すれ違い通行できたらしい。

韓信が陳倉道を使ったのはあくまで奇襲のため。つまり関中への
ルートとしては一番マイナーだった。
魏が陳倉を早々に固めたのはそういった故事があったからだろうね。

669 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 12:37
>666
>同盟をしていても、二国の連携プレイは完璧というにはほど遠かった。
これはその通り。連携による共同戦線は無いに等しかった。

>魏にすれば、彼らが息を切らすのを待てばよかった。
これは結果論じゃない?
魏は曹操・曹ヒと二代続けて積極外征策をとってきた。
曹叡だって孔明が死んだ後は鮮卑・遼東公孫氏に外征してる。
こと呉・蜀に限って消極策をとる理由はどこにもないんじゃ?

蜀呉同盟が重要なのは
1.魏呉が同盟して蜀が一方的に攻撃されるのを防いだこと
2.同盟によって魏は常に二方面作戦を考慮せざるをえなかったこと
でしょ。
呉が積極的に魏に攻め込むことまで孔明が期待したかどうかはちと
わかりませんが、魏が蜀と対峙するとき必ず背後の呉を気にしなければ
ならなかったのは間違いないと思う。
曹操ですら漢中をとりながら、呉の侵入によって蜀征伐を見合わせた、
という前例もあるし。

670 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 12:49
>曹叡だって孔明が死んだ後は鮮卑・遼東公孫氏に外征してる。
北伐に対する対処に終われててこっちまで手が回らなかっただけ。
逆に、北伐が無いとすると魏は邪魔な勢力を潰すことができた。

671 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 12:59
669ですが、
>670
>北伐が無いとすると魏は邪魔な勢力を潰すことができた
そう、それが言いたんです。
魏が呉蜀の命脈をはかっていたわけではなく、呉蜀同盟によって
積極外征策がとれない状態にあった。
孔明の死は一時的に魏をこうした束縛から解き放つことになった。
と考えてます。

672 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 14:18
>671
諸葛亮の北伐は魏に外征に出る余裕を無くさせただろうけど
逆に諸葛亮が北伐をやってこなければ魏はいつでも蜀を
攻撃することが可能だったのではないかと思うけどどうなの?

673 :ぎんじ:01/12/16 20:12
う〜ん、ここの住人より三国の野望の人達の方がレベルが高かった気がする。
いまは、アレだけど。

674 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 20:45
>>673

あなたの意見はどうなの?

675 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 21:06
( ゚д゚)ポカーン

676 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 21:23
>672
蜀がやったように国力の多くをつぎ込んでの遠征は無理かと思われ。
仮に蜀討伐に全力をつぎ込めたなら、国力の差からいって蜀は一蹴されてるのでは。

677 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 22:28
>>673
どうでもいいが余所で2ちゃんねらーなんてHNで書き込みすんな。

678 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 11:39
>676
では、もし蜀が「三軍疲楚」のような戦略を採用したら?
それで魏の国力を削れたとは思えないが、
少なくとも蜀が自滅するのを回避できたかも。

679 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 14:09
>677

へぇ、それは何故? 別にどっちでもいいと思うが。俺もやってんだよね。

680 :677:01/12/17 15:18
>>679
その「ぎんじ」が書き込んだ掲示板の前身で、それ以前にちょっとした論争があってな。
その揉め事を誰かが2chに持ち込んで結構な騒ぎになったんだよ。
そこのコテハンとかが叩かれて…
ぎんじが言う、「いまは、アレ」ってのはその事件で常連が離れたからなんだ。
その掲示板の跡地に臆面もなく「2ちゃんねらーぎんじ」
なんて書き込むヤツの気が知れない。と思っただけ。

681 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 05:14
いまさらですが、221年で
魏:1,034,000戸
呉:478,000戸
蜀:200,000戸
だってさ。

682 :ぎんじ:01/12/19 15:51
申し訳ございません 腹切って詫びさせていただきます・・・ゴフッ

683 :677:01/12/19 15:56
>>682
気にするな。
悪いのは全てMOSだ。
奴のせいでコテハンが皆去っていった。
俺は奴を絶対に許すことは出来ない。

684 :677:01/12/19 15:59
↑騙るんじゃねぇヴァカが

685 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:03
>>683=偽物=愛読者(件の犯人)です

686 :677:01/12/19 16:06
↑騙るんじゃねぇヴァカが

687 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:07

           ___
    .      |(・∀・)|
     .      | ̄ ̄ ̄   ジサクジエン共和国
         △
        △l |
   __△|_.田 |△_____
__|__|__|__門_|__|_____

688 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:08
ぎんじはいいかげんにするように

689 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:15
誰か677の荒んだハートを癒してやってくれ

690 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:19
犯人はぎんじだろ

691 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:26
この程度の煽りに乗っちゃう677は典型的2ちゃんねらー

692 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:32
悲惨な677のいるスレ

693 :ぎんじ:01/12/19 16:40
みんな、応援ありがとう。
みんなが677を倒してくれたおかげで生きる勇気がわいてきたよ。
みんなのことは忘れません。さよなら‥‥‥

694 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:46
活目せよ!これが純一戦士677の雄姿だッ!!

http://gazoo.direct.ne.jp/upboard/fun/img20011215223010.jpg

695 :677:01/12/19 16:49
こら!

696 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 16:50
677って天然荒らしっぽいな(w

697 :ぎんじ:01/12/19 16:57
693は偽者。あっしが本物。

698 :ぎんじ:01/12/19 16:59
あっしも本物でござる。

699 :ぎんじ:01/12/19 17:00
って、気づいてると思うけど(w

すいません。ただ、昔の三国の野望は凄かったんだよ。
それがなくなって本当に残念。三国志の事もすっかり考えなくなってた。
2chでネットの性格変わったけど、また少し三国志の興味でてきた。

700 :きんじ:01/12/19 17:00
あっしは兄でござる。

701 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 17:04
677=MOS

702 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 17:11
>>694
何だこれは(w

703 :ぎんじ:01/12/19 17:13
>701

よし確かめよう。

704 :どうじ:01/12/19 17:15
あっしは弟。

705 :無名武将@お腹せっぷく :01/12/19 17:15
>694
ワラタ

706 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 17:17
>>699
一人だけさわやかに終わろうとしてないか?

707 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 17:20
677は三国の野望もこうやって荒らしたのか・・

708 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 17:24
このスレ急にレスが速くなったな。

709 :MOS:01/12/19 17:29
ぎんじは勿論、正史研究家もおいらに比べたらまだまだ♪

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